人間学

命をもらって生きること

楽しさと感動の中で気付く「感謝」

小学生の頃から魚が好きでした。

きっかけは、祖父に連れていってもらった釣りです。川の上流から川下にむかって、餌も何もつけず針をいくつもつけた糸を流して、勢いよく引っ張ってはまた流すのを繰り返します。泳いでる魚をひっかけて釣る、原始的でシンプルな釣りです。大人は卑怯だからやっちゃいけないと言われましたが(笑)

これが子供心に面白かったんですね。オイカワと言って、わかさぎほどの小さい魚がたくさん釣れた。川岸で火を起こして、祖母が衣つけて揚げてくれました。美味しかったですね。二十数年たった今も忘れません。

仮想現実から現実へ

レストランHICOでは、これに近い感覚を味わってもらえる体験型の仕組みづくりをしようと思っています。

溶岩焼バーベキューもそのひとつなのですが、魚料理に関してはもっとリアルに感じていただきたい。魚は切身にされてスーパーに並んでいるものと、生きて泳ぎ回っているときというのは似ても似つかぬ姿です。産地、生息環境によっても違う。品質でいうと水揚げ直後の処理が重要で、それ如何で天と地ほど差が出ます。魚種によっては、活〆して血抜きしたものを使わないと刺身にはできません

いま考えているのはタブレットの活用です。せっかくITがこれだけ進歩発展しているので、活かさない手はない。理想は丸いタブレット、もしくは正方形のタブレットです。

これを皿にしてしまう。料理提供の前にお客様の前にお持ちして、プロモーションビデオを流します。

メバルのカルパッチョならば、海で元気に生きている姿から、漁師さんに水揚げされ、店まで送られてきて、捌かれ、料理になるまでをリズムよく流す。そして今まさに、そのメバルが調理されて運ばれてくるという、仮想現実から現実へと置き換えられ、はじめて料理が完成する。

これは未来のHICOをお客様視点で書いたストーリー『未来予想図Ⅱ』にイメージを書きましたのでよかったらご参照ください。

命をいただくこと

私たち人間は、動物や植物から命をもらって生きています。「いただきます」と日本人は手を合わせますが、これは作ってくれた人への礼儀よりも食材に対する感謝から生まれた言葉です。

人口70億人を突破した今、地球の資源がまかなえる量はとっくにオーバーしてますから、食糧も養殖が盛んになり、工場生産のものが増えてくるでしょう。実際に、いま流通している水産物の半分は、養殖だというデータもあります。野菜も、工場で生産されるものが増えるはずです。

それは人が生きていく上で、資源を刈り取ることなく持続していく方法のひとつなので良いことなのですが、人間の受け取る感情としてはクールになる感じがします。川に行って、魚を釣ってきて、それを食べるという感覚とは明らかに隔たりがある。

たとえば小さな子が「いただきます」という礼儀を教えられて、それを型通り言うとき、命をそこまで意識するだろうかと思うのです。飢えを知れば、その意識はつくでしょう。ただ、命をいただく実体験なしには難しい気がしますが、どうでしょう。

押しつけではなく、あくまで自然に・・・

レストランは基本的に楽しむところなので、食育や過度な環境問題を取り上げて、有り難さを押し付けるような息苦しいサービスを避けます。ただ、食に携わる以上、考えることは大事ですし、レストランで楽しみながら自然と「命」を感じていただけたなら、素晴らしいことですよね。

楽しさと感動の中で気付いた感謝は、人に言われて理解するよりも深い。

祖父に連れていってもらった釣りに、その原風景があります。

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