人間学

意味を訪ねる旅

幸福とは何なのか?

先日も書きましたが、2019年開業を決断してから、環境が変わりだしました。小さな変化も見逃さぬよう、気を付けています。

言葉の意味についても、できるだけ深めようと考え直しています。なぜでしょう?そうしないといけない気がしています。

おそらく社会的に、自分の城を生まれて初めて作るからですね。正しく言葉を使えなければ、どこかで誰かが間違った解釈をして、致命的な欠陥になるかもしれません。また、100年続けようと思ったとき、100年後に私は生きていませんし、引き継いでいかないといけません。言葉の意味を深く考え、HICOの風土にしていくことで、持続可能性が高くなる。

たとえば幸福

レストランにおいて、「食を通じてお客様に幸福を」とする企業や店舗は多い。それだけ、人は幸福になりたくて生きているということだと思います。でも幸福とは何なのか?幸福を与えるというが、与えることができるのか?

幸福、という意味は人によって解釈が微妙に違い、漠然としている言葉のひとつだと思います。よく比較される話ですが、今日食べるものもなくてお腹を空かしている子供にとって、幸福とはひとかけらのパンであるかもしれない。

一方、何の苦もなく毎日3食たべている子供にとって幸福とは何なのか。美味しいケーキかもしれないし、ゲームかもしれない。もしかしたら、幸福を感じることもないかもしれない。

どちらが良いとは私は言えません。人の感覚、感情はいつも相対的です。ただこれだけ幸福という言葉にも落差がある。

幸福とは何なのか?

私なりの答えはあります。それは、感謝できるこころ。

日本には食事の前に「いただきます」と手を合わせる習慣がある。そのこころです。

苦もなく3食たべれる子供にとって、もしその感謝できるこころを失したら、幸福とは何かをわからなくなるはずです。

だから幸福は、与える与えないの問題ではなく、主体的に感じていくものだと私は考えています。

心理学者ウィリアム・ジェームズの有名な言葉に「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」とあります。私はこの言葉に対してはじめは反発していましたが(笑)その意味するところがようやく解ってきました。

でも、これを理解しておかないと、レストランではお客様を満足させるためにひたすら美味しさを追求し、サービスは奉仕一辺倒になる。それは違います。お客様が感じる幸福のごくごく一部であり、すぐに限界が来る。何より、薄っぺらいですよね。

言葉の意味を深めていくと<本質>にどんどん近づいていく気がします。その本質を突き詰めていくことで、見えてくる新しい世界がある。まるで旅のようです。

それがHICOのサービスを深くすると考えています。

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