目指すは一流であり、プロフェッショナル。その”心得”とは?

プロフェッショナルとは

目指すは一流であり、プロフェッショナルであれ。と勤めていたレストランのオーナーに言われました。

一流、プロフェッショナル。言葉はかっこいいが、何が一流か?何がプロフェッショナルか?私の中でまだ、消化しきれていません。自分なりの定義づけが必要だと感じます。

ここでは、そのヒントとなる”心得”を忘備録としてまとめました。

目次

水にまつわる教訓

私は、水と縁が深いような気がします。

これまで住んできた場所はすべて川のそばでした。ここ数年、手帳に書き留めた言葉も、水に関わる言葉が多かった。たとえば……

上善如水

最良の生き方は水の如く

老子

日本酒の銘柄としても有名な、言葉。水は、高いところから低いところへ流れ、穏やかに見えるときもあれば、どの水かさが増えれば岩をも砕く勢いがあります。

強くもあり、障害物をしなやかに交わしていく柔軟さもある。

そうそう、人は1日、2000mlの水分を摂ると良いといわれますが、6000ml飲むと死に至るらしい。水がなくては生きていけないのに、水の中では生きていけない。考えてみると、水とはとても身近にありながら、不思議な存在です。

夫れ兵形は水にかたどる

水の形は、高きを避けてひくきにおもむき、兵の形は、実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。故に兵に常勢無く、水に常形無し。

孫子『兵法』

水のように臨機応変に体制を整え、敵の弱点をつけ。という意味の孫子『兵法』からの引用です。

水はその入れ物により、どんな形にもなることができる。たしかにそうですね。変化の激しい時代、ひとつの形にとどまっていては、時代遅れになります。「商品寿命は昔は10年、今は3年」とお客さんが言っていました。

臨機応変さも、自ら学べます。

水五訓

  1. 自ら活動して他を動かすは水なり
  2. 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  3. 障害に遭いて激しその勢力を百倍にするは水なり
  4. 自ら潔うして他の汚濁を洗い、しかも清濁併せ容るるは水なり
  5. 蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ雹と化し、凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失はざるは水なり

こちらは、黒田如水(黒田官兵衛)が編纂したという水五訓。私はこれを、パソコンのデスクトップに表示して、毎日、こころの中で唱えています。

人を動かすには、まず自分から動くこと。

目標を見据えて、歩みを止めるな。

壁があっても、力をせきとどめて、爆発させろ。

常に正しく、清くあるべきだが、かといって悪を排除せず、清濁あわせもつ存在たれ。

どんな状況であっても、己は己たれ。

正確な解釈ではないかもしれませんが、私はこのように捉え、自身を戒め、基本姿勢とすることにしました。

水の低きに就く如し

孟子の言葉にあります。

水の低きに就く如し

が自然と低いほうに流れるように、人は安易な方を選びがちであるという戒めです。そう、油断すれば、易きに流れる。私自身も自覚しています(笑)

常に緊張感と最高のコンディションを保つのは、至難の業。では「水の低きに就く如し」とならない為にはどうすればいいのか。一流スポーツ選手は、毎日目標設定し、淡々とこなしていきます。料理人は、常に高みを目指し、留まるところなく研鑽を重ねる。ソムリエは、お客さんをワインと料理で楽しませることに余念がありません。

経営者は、利益を社会に、スタッフに還元しつづけることに必死です。志があれば、低きに流れることはない。

飲食業は水商売だからこそ、水に学ぶ

思えば、飲食業というのは水商売。なぜ、水商売と言われるか。運や人気や時代や情勢に左右される生業だからです。Wikipediaをみると「先の見通しが立てにくい」ともあります。この業界は、本質的に持続しにくいのです。10年続くお店は10件に1件もないのも当然でしょう。

私が目指すの100年持続性のあるレストランを創ること。水の性質を理解し、味方につけれたら、強いはず。水はその形を変え、とどまるところを知らないからです。

この水五訓は、私個人としても、事業としても、良い指針になると思います。

師から教わった、器を大きくする方法

他者を受け入れ、師を真似る。

落語の世界では、新人はまず師匠の付き人となります。一日中、行動を共にし、世話をするのが習いです。この期間はどういうことかというと、「自分」を徹底して自分の中から追い出す修行であると立川志の春さんの書いた本で読んだことがあります。

これが今の私には、よくわかります。器が大きい人、といいますが、人を形成するのが、器である入れ物と、そこに注がれた水だとすると、「自分」で満たされた器にそれ以上のものは入りません。

成長する、ということは、今のままでは溢れてしまう小さな器を、大きくすることでしょう。

既存の自分の殻をぶっ壊し、環境を整える

物事には順番があります。まず環境を作らないと、成果は出ない。これは、私の師に教わりました。

中に何を入れるかではなく、器を大きくすることを心掛けろということです。では、器を大きくするにはどうすれば良いか?そのコツは「自分をブッ壊すこと」だという。

考えてみれば当然。いったん壊さないと、それ以上のものは入ってきません。

立川志の春さんの言っているのも同じことだと思います。徹底して自分を追い出し師匠を入れてくるには、自分の小さな器を壊さないと師匠を入れてくることはできません。自分よりもずっと大きい器を持つのが師匠なのです。

守破離

「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ているそうです。包丁の使い方、鍋のふり方、ワインの開け方、ピザの焼き方、すべては真似をするところから始まります。

日本には古くから、守破離、という考えがあります。まずは師匠に教わった型を「守」り、それが出来るようになったら、既存の型を「破」り、そして新たな自分の型を作るために「離」れる。

人によってはこれがすごく難しい。私がそうでした。私は子供の頃から頑固なところがあって、はじめから「破」ることを考えていました。同じことをしてもそれを超えられないという思いがあったのです。でもこれでは、自分のキャパ以上に成長できません。器とはこういうことをいうのでしょう。

自分より実力がずっと上の人の持っているものを受け入れるには、いったん「自分をブッ壊」して、自分を徹底して追い出して、無条件で受け入れる。「破」るのはそれからです。

物事には順番がある。恥ずかしながらそういうことがようやく、わかってきました。

バカになる勇気

プライドも自分らしさも邪魔になる。器を大きくするには自分をブッ壊すことだと書きました。言い方を変えれば、「自分」を自分の中から徹底して追い出すこと。落語家の立川志の春さんの著書にあった話です。

その時に一番邪魔なのは、プライドや自分らしさ。

バカになる勇気が成長するためには必要ではないかと感じる今日この頃です。

質問力

聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥。とはよく言ったものですね。分からなかったら聞けばいいのです。

その時、バカかこいつは?と思われても良い。目的は、知ることであり、見栄を張ることではありません。開業するレストランでは、上下関係なく、スタッフ同士会話することを大事にしたいと思います。誰に何を思われても、疑問に思ったら質問する。その力が今後の成長を左右します。

会話力がミスを防ぐ

ミス、失敗は誰もがする。でも、しないにこしたことはありません。ミスがなければ、お客様に迷惑をかけないし、ミスをカバーしたり補う労力をかける必要もない。スムーズに仕事は運びます。

どうやってミスを防ぐか。私もいろいろ考えてきました。やってはいけないのは、今度から気を付けよう、と意識で解決することです。これはよほど痛みが伴わない限り、忘れてしまうことが多い。

仕組みで解決するのは良い方法です。

たとえば私が勤めていたレストランでは、オーダーミスをしない為に、メンバー共通の略称を作ったり、カラーペンで記入にしたり、工夫しました。

でも、もっともミスを防ぐ効果的な方法は、会話することです。自分が間違っても、誰かが気付いてくれたり、確認してくれたら、結果、間違わない。ミスしそうなところで、大丈夫?と聞くだけで違うのです。起こりそうな失敗は、それぞれが気にして言葉にすることで、未然に防げる。

開業したら、個人が成長するためにも、ミスを防ぐためにも、会話力を重視します。

コミュニケーションを制す者はすべてを制す

組織においてコミュニケーションという概念がいかに大事か、私はいま勤めている会社で知りました。コミュニケーションを制す者はすべてを制す。私の師匠はそう言います。

会話力がミスを防ぐと、先に書きましたが、もう少し深めて、コミュニケーションの威力について、まとめておきたいと思います。

コミュニケーションの目的

100年続くレストランを創る。それが構想レストランの大きな目的です。そのために、一生記憶に残るくらいの食体験をしてもらうことが、日々の目標になるでしょう。スタッフはそのためにチームを組みます。お客様を感動させるという共通の目標のために。

コミュニケーションをとる目的もそこにつながると考えれば、良いですね。

もしコミュニケーションがなければどうなるか?相手の考えていることがわからず、本当に共通の目的を持ってやっているのか?それさえもわかりません。

ほう・れん・そう

また、報告や連絡が行き届かなければ、お客様に多大な迷惑をかけてしまうことは簡単に想像できます。料理のオーダーがきちんと通らなければ、作れないわけです。気の利いたサービスなど、まず出来ないでしょう。

お客様が料理を食べて、ぽつんと、セロリは苦手なのよね、、、と呟いたとします。そんな小声が耳に入ったら、あなたならどうしますか?

セロリを抜いた料理を提供する、違う料理に変える、セロリの香りが嫌ならその香をマスキングするようなワインを提案する、など対処の仕方は色々ありますが、その前に必要なことがあります。

相談です。

それがなければ、手の打ちようがないのです。1人で考えたとしても、出来ることには限りがある。以上は、業務において最も基礎的な、いわゆる「ほう・れん・そう」のことですがこれもコミュニケーションのうちのひとつです。

コミュニケーションで問題を未然に防ぐ

主体的に仕事をする人は、さらに高度なコミュニケーションをします。問題を発見し、あぶり出し、解決し、そして、未然に防ぐのです。入口の階段は、年配の方には少し高いかもしれない。

それなら、一言声をかけるようにしようか、それとも、少しだけ遠回りだけど、違う入り口から案内してはどうか?さらには、車いすの方はどうやって案内するか、案内をするのに十分なスペースがないなら階段の段差を埋める板をセットしてはどうか?

こうした議論に発展していきます。

言われたことしかやらない指示待ちの人には決してできないコミュニケーションです。問題をあぶり出し、解決するのもコミュニケーションならば、より効率的にスピーディに仕事を建設的に進めていけるのもコミュニケーションのなせる業なのです。

相手の立場に立つ

さらに深くなると、コミュニケーションというのは、会話を飛び越えることがままあります。

あうんの呼吸

一緒に仕事をしていると、相手が、話さないでも何を考えているか分かる。いま、一方がスパゲッティをゆでていて、ソースの準備をしてるから、次のタイミングで、このスパイスと、飾りと、オリーブオイルがいるな、と見るや、手に取りやすいところにサッサッと必要なものをだしておく。すると、使う方は、探したり、手を伸ばしてとる必要がないのでストレスなく仕上げにかかれます。次の作業への移行もスムーズです。

これは実際に私が勤めていたレストランの厨房での一コマですが、言葉はなくてもコミュニケーションは成立しています。一緒に仕事をする相手の仕事を知れば知るほど、これができる。

コミュニケーション能力を高めるために大事なことは、相手を知ること。相手をよく見ること。そう考えています。

このように、コミュニケーションが高度であるほど、お客様を感動させることができる確率は高くなります。それを、恥ずかしがったり、臆したり、他人がどう思うか気にしたり、怒られることを恐れたりしていては、個人も成長しませんし、チームが機能しません。

縁と恩、そして、感謝

当社の理念として、最も大事な概念のひとつ「感謝」。開業するにあたって、芯から私を突き動かすのもまた、感謝です。少し、個人的なことになりますが、私は中学生くらいから親とうまくいきませんでした。特に母親からは離れたくて、それで大学は実家から離れた土地を選びました。

一人暮らしをして間もない夏のこと。祖父がたおれました。

釣りを教えてくれた祖父。小さなころから色々なところへ連れていってくれた記憶があります。

祖父の入院する病院を見舞ったとき、私は病室になかなか入れませんでした。今でもわからないのですが、涙がとまらなくて、屋上に行き、落ちつけてから、病室に向かうのですが、だめです。30分くらい行ったり来たりして、なんとか祖父に対面したものの、こらえ切れず、ずっと俯くしかなかった。その時は回復していて危篤という訳でもないのに、涙が出てきてしょうがなかったんです。

祖父は私が見舞ったのをとても喜びました。私はほとんど「うん」しか言えなかったけれど、大学生活はどうか、一人暮らしは慣れたか、私に尋ねては、そうかと短く頷きます。

それから間もなくして、祖父は病室でまた倒れ、集中治療室にはいりました。亡くなったのは2週間後。その間、私は祖母と一緒に、一日も欠かさず一時間かけて病院に通いました。不思議なことに涙はほとんど出ませんでした。ちょうどアメリカで、超高層ビルに飛行機が突っ込む前代未聞のテロ事件が起きた時のことで、そのニュースをぼんやり見ていました。

生前、祖父からSEIKOの時計をもらっていました。自動巻きのクラシックな盤で、表面がダイヤモンドコーティングをしているので傷がつかないというやつです。常に身につけていると、永遠に時を刻みます。電池式ではなく振動によって自動で巻かれるので止まらないのです。

しばらくして、このままではいけない、ととても焦るようになりました。この焦りがなんなのか、大学を卒業して10年以上、わからなかった。仕事で思い通りに大成出来ないことに対する焦りなのだろう、と思っていました。でも、本質は違っていました。

例えば、このまま親が死んだら……。立ち上がれないほど激しく後悔すると思ったのです。

18歳で親元を離れ、私は好き放題にやってきました。それなりに苦しんだつもりでしたが、受けた恩を誰にも何も返してこれなかった。何をしてきたんだろう?誰のために何のために生きてきたのだろう?と思いました。自分の欲の為だけに生きてきたのではないか・・・?

それが焦りの正体でした。

毎晩、眠りにつく前に六方拝をする

今では毎晩、六方拝といって、東西南北上下に手を合わせてから眠るようになりました。親、先祖、同僚、友人、家族、子ども、上司、お客様、それから天に風に大地に海に。私を生かしてくれているすべてに感謝して一日を閉めるのです。

開業し、100年持続するレストランを成功させる極めて個人的な動機は、その感謝を形にしたいからです。そして願わくば、祖父からもらった時計のように、いつまでも時を刻んでいきたい。

まずは、、、親の喜ぶ顔が見たいんですね。

漫画『ONE PIEACE』に学ぶ未来思考

漫画『ONE PIECE』はご存知の方も多いと思います。私はこの漫画から学ぶことがたくさんありました。読んでいて、後ろめたさを感じたこともあります。それで気付くのです。

俺、正直に生きてない。大事なこと見失ってた。。。

3つの記憶

人には、3つの記憶があると言います。過去の記憶と、現在の記憶、そして未来の記憶です。これは、レストランに来て下さったお客様から聞きました。

人生がうまくいかない人というのは、この3つの記憶のパワーバランスがよくないんだそうです。特に、過去の記憶に偏っている人は、人生が思い通りにいくことはないといいます。何年も前のことや、昨日の出来事を常に引きずっている人。今起こった出来事が過去の記憶となり、それに捉われてしまう人です。

対して、うまくいく人は、未来の記憶を豊富にもっている人だというのです。未来の記憶というのは、いいかえれば、目的です。明日のブログはこんなテーマで書こう、来月はこんな企画を組もう、3か月後には恩粗いんで商品を販売しよう、半年後には1000万稼げるように環境を整えておこう、2年後はレストラン開業だ……こういうことが未来の記憶だというのです。

海賊王におれはなる!

『ONE PIECE』の主人公ルフィには、非常に明確な目的があります。それが「海賊王」。考えてみると、ルフィは、未来の記憶だけで生きているといっても良いキャラクターです。『ONE PIECE』という物語は、週間少年ジャンプ(集英社)で連載して20年。一貫して物語をつないでいるのがこの「海賊王におれはなる!」という目的です。

3つの記憶の話を聞いて気づいたのですが、ルフィの仲間たちや登場人物の多くは、ルフィと出会うことで必ずと言っていいほど、過去の記憶から、未来の記憶へと、引っ張られます。

私もその一人かもしれません。自分にとって「○○におれはなる!」と強く、はっきり、言えることを探していました。これまで、年収1億を目指す!イタリアワインのソムリエ大会で優勝する!田舎にでかいログハウスを建てる!1000人の人の上に立つ!……などなど、色々と当てはめてきたものの、どこか違和感がありました。転機となったのは、2017年1月。

自分の人生の主導権を他人に握らせない。自分の責任で生きる!

そう決めてからです。連鎖して、未来の記憶がどんどん作られていきました。○○にあてはまるのは、海賊王のようにわかりやすくはありません。むしろ、これ以上、他人に人生の主導権を握られる生き方はしたくない!と強くその未来を否定したことが、良いきっかけとなりました。

すると、捨てるところと、挑戦するところ、それがはっきりしてきました。私の場合、捨てるべきは、これまで縛られてきた自分自身。そして挑戦すべきことも、自分自身なのだと気が付いたんです。

おそらく、ようやく自分自身の人生に責任を持てるようになったのだと思います。恥ずかしながら、それまでは過去の記憶に縛られていました。どこか、他人のせいにするところがあった。でも今、様々な試練の、その意味を理解しながら、確実に乗り越えていける自信がわいてきたのです。

長時間労働、上等

厚生労働省が公表している、労働時間に関する制度をご存知ですか?今後の為にも正確に把握しておきたいと思います。

以下、厚生労働省のサイトから抜粋します。

<<労働時間・休日に関する主な制度>>

法定の労働時間、休憩、休日
一.使用者は、原則として、1日に8時間、1週間に40時間を超えて労働させてはいけません。
一.使用者は、労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与えなければいけません。
一.使用者は、少なくとも毎週1日の休日か、4週間を通じて4日以上の休日を与えなければなりません。

労働時間・休日に関する主な制度より

上記は、国が定めた労使間の協定です。

残業をさせる場合は、36協定(会社側の代表と労働者側の代表が書面により残業を行う旨の協定)というのを結ばなければなりません。労働基準監督署へ36協定の届け出を行うことにより、36協定に定めた残業時間を上限として、残業が合法化されることになります。

残業時間の上限

では、残業時間の上限とはどのくらいか。

1か月で45時間です。月20日出勤とすると、1日あたり2時間15分。ということは、1日あたり、最大限働けるのは10時間15分になります。(週休2日の場合)。

これが国の基準。でも、それは、あくまで労使間の話。夢を持ち、自発的に実現したいことがあるのなら、自分の時間をどう使おうが、自由です。制限なんてありません。

長時間労働上等です。

●ラック企業万歳

働き方改革の是非は、近い将来、問われることになると思います。2025年には65歳以上が3人に1人。超高齢社会になるのに加え、人口は縮小し、働き盛りの年代はますます少なくなるからです。

国は借金まみれ。今年のゴールデンウィークは10連休という企業も多いようですが、企業も国も、運営できなきなければ元も子もありません。働きすぎや残業が「悪」とされる現代の風潮は必ず見直されます。

若い人は、ブラック企業を敬遠するでしょう。表面的に考えたら、当然ですよね。ほかの会社が定時で終わり、休みも十分にとっている中、毎日仕事詰めで休日はぐったり。なんて、想像したらきつい。

人生の楽しみと仕事と両立させるワークライフバランスを重視したくなるのはわかります。

仕事のできる人ほど進んで長時間労働している

しかし、国際競争も激しく、日本国内と違って、世界では人口が増え続けている。地球の資源でまかなえる人口の限界は100億人といわれてますが、現在、地球の総人口は75億人を超えてます。もし世界中の人がアメリカ人並みの生活をするなら、すでに地球5個分の資源がないと、耐えられないそうです。そういう中で、日本はどんどん国力を落としている。

にもかかわらず、このまま楽な労働をしていて本当にいいのでしょうか?

実は、将来を見据え、長時間労働をいとわない出来る人がごくまれにいます。こういう人はやはり、成長が圧倒的に早く、さっさと稼いで、同世代の何倍の給料を得ている。あなたはどちらがいいですか?

人格のない会社はよくありませんが「いま頑張らなくてどうする?」と日本のため、社会のために身を粉にして働く企業も存在しているんです。それをひとくくりに「ブラック」と呼ぶのは、間違ってますよね。

法を順守しようと思えば、経営者が最も働かなくてはならない。本来、未来のことや社会のことを考えてかじ取りするリーダーが、労働しなくてはならない環境なんです。個人的な見解ですが、自ら進んでブラック企業に勤めている人が多い企業は日本を救う存在になると思います。

そういう組織が報われる社会になればいいですよね。

自己成長のための●ラック

みんなが楽してる中、頑張る。

考えてみれば、現代の労働環境の中で、ブラック企業に勤めていずとも、ひとりでブラックな働き方をすれば3年後、ひとり勝ちできるはずです。みんなが休んでたり遊んでる時に、頑張って働いたり、スキルアップのために努力を重ねていれば、普通に考えて他を圧倒できますよね。私はそんなとらえ方をしています。

だから休み問わず勉強して仕事しますし、働き方改革に甘んじている人よりもかなり速いスピードで成長できると思ってます。●ラック万歳!

“縁”をたいせつにする誠実さ

私事ですが、いま働いている会社とは深い縁で出会い、12年続いています。

これまで自分のやりたいことより、信頼されて任された仕事を優先してやってきました。短い人生なんだから、好きなことした方が良い。という人もいますが、私はいつも「義」を選んできました。迷ったことは何度もあって、少しでも早く独立したい気持ちから焦りがありましたが、迷う度にいつも正しい道に引き戻してくれる人がいます。

それがいま勤めている会社の代表取締役です。

筋を通して生きる

少なからず、お世話になった会社と、代表にはきちんと筋を通していくべきでしょう。

あたり前のことだと思いますが、それをしてこない人を大勢、見てきました。むしろ、ちゃんと筋を通している人は極めて少ないのです。批判するつもりはないですが、自分さえよければいいという考えなのか、逃げなのか。レストランであれば、辞めたあとのことを顧みず、適当な引継ぎで出ていく人も少なくありません。

縁を大事にします、恩を大事にします、と言っていて、そこを曖昧にしていたら、嘘つきになってしまいます。私は自分の目標がいまの会社において、必ずしも、歓迎されないことだと思っています。なまじっか長く勤めているので、私が抜ければ、その穴はそう簡単に埋めれません。

時間はかかるでしょう。しかし、きちんと筋を通し、理解してもらっての独立を目指します。

包丁とプロ意識

料理人であれば、包丁を見ればその人の真剣度が分かります。

包丁というのは、とてもシンプルな道具です。私は師と仰ぐ人から、道具を大切にしろと教わってきました。中でも包丁は、命と同等に扱えといわれます。

なぜなら、お金をもらって料理をする人にとっては、包丁が生活を成り立たせてくれているからです。

包丁を見れば真剣度が分かる、その意味

職人がその地位を確立できるのは、誰もが真似の出来ない技術を有しているからです。

料理人も同じでしょう。料理は、家庭でも日常的にする人がいます。中にはプロも驚くほど、上手な人もいます。でも、お金を頂いて料理をするプロと、そうではないのと、全く違う。その違いのひとつが、包丁です。包丁を見れば、技術を有した人かそうでないか、一目でわかる。

包丁の形状は、実に理にかなった形をしています。日本人は、素材に応じて、その形を変えてきました。例えば、捌く魚の大きさや種類によって、違います。もっとも美しく、早く、正確に捌けるように、様々な形状の包丁があるのです。真剣に、情熱を持って、お客様に良い料理を作ろうと考えている料理人は、例外なく、自分の創る料理に見合った包丁を揃えています。そして、いついかなる時も仕事ができるように、包丁を手入れしています。

ほんと、惚れ惚れするほどに。

驚きの切り口

お寿司屋さんに行けば、わかると思います。たとえばマグロを切る時、どんな包丁を使っているでしょうか?鯛を切る時は?サバを切る時は?すべて違う種類の包丁を使う方もいらっしゃるでしょう。そうでなくても、刃渡りが長く、幅の薄い、日本刀のような柳刃包丁を使う方が多いと思います。少なくとも、切れない包丁はもっての他、ずんぐりした出刃包丁や、三徳包丁を使う人はまずいません。

理由は、口あたりがまったく違うからです。

魚は、筋肉のかたまりです。ミクロの視点でいうと、先だって書いたように、鎖状に連なったたんぱく質です。天文学的な数の細胞の集合体です。それを断ち切る時、切れない包丁で切ると余計な力が入り、無駄に細胞を壊してしまいます。また、刃渡りの短い果物ナイフで切ろうと思えば、たとえよく切れたとしても、ギコギコとのこぎりを使うように反復させなければなりません。

すると、その切り口はボロボロになる。

切れる包丁で切った刺身は、切り口がつるつると滑らかです。光を当てれば鏡のように反射するほど。口に入れれば、豆腐のようにつるっと感じることさえある。実際、美しく磨かれた、切れる包丁で刺身を造る職人さんを見ていると、まるで豆腐でも切っているかのようなのです。

魚に限りません。ご存知の方も多いと思いますが、玉ねぎだって、切れる包丁で切れば、細胞をつぶさず切れるので、目が痛くならないのです。そして、細胞に抱えられた水分が流出することなく保たれるので、素材自体の味が濃くなります。プロにとって、料理の美味しさを左右するのは、知識や表面上の技術以前に、まず包丁が切れるかどうか、素材に適した包丁を使っているかどうかである。

一流のプロスポーツ選手イチローさんに学ぶ

イチロー選手はプロでの通算安打世界記録保持者としてギネス認定されました。プロ野球で2000本安打を達成している人は、2017年9月8日時点で、57人。その中には、イチロー選手も含まれていますが、イチロー選手の安打数は、4257本・・。文字通りケタ違いの記録です。

そんなイチロー選手の発する言葉は、ひとつひとつが重くて、こころに残るものが多い。たとえば、準備することの大切さをこう言っています。

準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。

ご存知の方も多いかもしれません。準備することの大切さは誰しもがわかっています。でも、ここまで、突き詰めて考える人は少ない。私もそうでした。このイチロー選手の精神は、他の発言の節々で見られます。

どんなに難しいプレーも、当然にやってのける。これがプロであり、僕はそれにともなう努力を人に見せるつもりはありません。

やれることはすべてやったし、手を抜いたことはありません。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して、 準備した自分がいたことを誇りに思っています。

ハイレベルのスピードでプレイするために、ぼくは絶えず体と心の準備はしています。自分にとっていちばん大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。

プロ野球選手は、怪我をしてから治す人がほとんどです。しかし、大切なのは怪我をしないように、普段から調整することです。怪我をしてからでは遅いのです。

しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。

アップの時には全力で走るとか、早く来て個人で練習しているとか、そんなことは僕にとって当たり前のこと。

自分のできることをとことんやってきたという意識があるかないか。それを実践してきた自分がいること、継続できたこと、そこに誇りを持つべき。

今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない。

夢や目標を達成するには1つしか方法がない。小さなことを積み重ねること。

頑張っても頑張っても結果が出ない時、その現実をどう受け止めるか。イチロー選手の言葉は、涙が出るほど胸に響きます。

人としての成功、ビジネスとしての成功

一流とプロフェッショナルと、ふたつがどう違うか?もしかしたら、このように言えるのではないでしょうか?

一流は、人としての成功

相手の立場に立つことができ、謙虚で、学びを怠らず、他に尽くすことができる人。仁愛のこころを持った人、と言い換えても良い。これは、一生鍛錬だと思っています。いついかなる時も相手の立場に立ち、気持ちを理解して行動出来たら、人として「出来ている」と見てもらえるでしょう。

昔からとにかく一流になりたいと思って、仕事をしてきました。でも、一流ってなんだ?といったら、あまりにも漠然としています。どちらかというと、二流三流、というイメージが嫌で、やるなら一流。と思ったにすぎません。動機は単純で、格好いい大人になりたかった。子供っぽい理由です。でも、未だに譲れない、強い動機です。

では、プロフェッショナルとはなんなのか?

プロフェッショナルは、仕事人としての成功

一流とは何かを考えていると、プロフェッショナルのことかな、と最初は思いました。でも、一流という響きには、プロフェッショナルにはない深さがあり、プロフェッショナルには、一流にはない幅がある気がする……。

そこで、プロフェッショナルを仕事人としての成功と定義すれば、良いのだと思いつきました。

当たり前のことを当たり前にできる。仕事は、きれいに早く正確に。人より優れて、簡単には追いつけない領域まで質を高めたところに本質があると。

目指すは、一流のプロフェッショナル。その真価がとわれるのは、死ぬ間際なのかもしれません。

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