人間学

感謝

受けた恩を返すこと

レストランHICOの理念としては最も大事な概念といってもいい「感謝」。開業するにあたって、芯から私を突き動かすのもまた、感謝でした。

今日は少し、個人的なことを書きます。

私は中学生くらいから親とうまくいきませんでした。特に母親からは離れたくて、それで大学は実家から離れた土地を選びました。

一人暮らしをして間もない夏のこと。祖父がたおれました。

釣りを教えてくれた祖父。小さなころから色々なところへ連れていってくれた記憶があります。

祖父の入院する病院を見舞ったとき、私は病室になかなか入れませんでした。今でもわからないのですが、涙がとまらなくて、屋上に行き、落ちつけてから、病室に向かうのですが、だめです。30分くらい行ったり来たりして、なんとか祖父に対面したものの、こらえ切れず、ずっと俯くしかなかった。その時は回復していて危篤という訳でもないのに、涙が出てきてしょうがなかったんです。

祖父は私が見舞ったのをとても喜びました。私はほとんど「うん」しか言えなかったけれど、大学生活はどうか、一人暮らしは慣れたか、私に尋ねては、そうかと短く頷きます。

それから間もなくして、祖父は病室でまた倒れ、集中治療室にはいりました。亡くなったのは2週間後。その間、私は祖母と一緒に、一日も欠かさず一時間かけて病院に通いました。

不思議なことに涙はほとんど出なかった。ちょうどアメリカで、超高層ビルに飛行機が突っ込む前代未聞のテロ事件が起きた時のことで、そのニュースをぼんやり見ていました。

生前、祖父からはSEIKOの時計をもらいました。自動巻きのクラシックな盤で、表面がダイヤモンドコーティングをしているので傷がつかないというやつです。これはいつも身につけてといるだけで永遠に時を刻みます。電池式ではなく振動によって自動で巻かれるので止まらないのです。

しばらくして、このままではいけない、ととても焦るようになりました。この焦りがなんなのか、大学を卒業して10年以上、わからなかった。仕事で思い通りに大成出来ないことに対する焦りなのだろう、と思っていました。でも、本質は違っていた。。。

例えば、このまま親が死んだとき。

立ち上がれないほど激しく後悔すると思ったのです。

18歳で親元を離れ、私は好き放題にやってきました。それなりに苦しんだつもりでしたが、受けた恩を誰にも何も返してこれなかった。何をしてきたんだろう?誰のために何のために生きてきたのだろう?と思いました。自分の欲の為だけに生きてきたのではないか・・・?

それが焦りの正体です。

私は毎晩、六方拝といって、東西南北上下に手を合わせてから眠るようになりました。親、先祖、同僚、友人、家族、子ども、上司、お客様、それから天に風に大地に海に。私を生かしてくれているすべてに感謝して一日を閉めるのです。

開業し、レストランHICOを成功させる極めて個人的な動機は、その感謝を形にしたいからです。そして願わくば、祖父からもらった時計のように、いつまでも時を刻んでいきたい。

まずは、、、親の喜ぶ顔が見たいんですね。

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