シャトー・ラトゥール|幾重にも絡み合う交響曲

歴史や文化を紐解いていくと、そのワインの織りなす味わいが、絶妙に物語と絡み合うのを感じます。ほんとうに不思議です。

今回は、シャトー・ラトゥールのストーリーです。1855年パリ万博の際、第一級に格付けされた圧倒的な力強さを持つワインには、どんな物語があるのか、楽しんでいただければ嬉しいです。

目次

100年戦争

むかし、というのは1154年頃のこと。

フランスのお姫様と、イギリスの王子様が結婚し、ボルドー一帯はイギリス領であった時代がありました。それからしばらくして、フランス側がボルドーを奪回すべく、戦ったことがあります。100年戦争といわれるもので、1337年から1453年まで百年以上もの間、ボルドー地区は戦禍にさらされていました。

その戦争も終わりを迎えた、1451年。フランスはついにボルドーを占領するのですが、イギリス王家に300年も統治されてきたボルドーの市民たちには、母国はイギリスであるという意識が強くありました。そのため、当時のイギリス国王ヘンリー6世に、彼らは使いを送るのです。

「私たちを見捨てないでほしい。もう一度、この地方を取り戻してください。」

老将軍タルボ

そうしてその翌年、3000人の武装兵をひきつれて、ある老将軍がボルドーの地へと降り立ちます。彼はすでに62歳、その額は赤く禿げあがり、両サイドにすっかり白くなった毛をわずかに残すばかり。名前をジョン・タルボといって、その武勇、リーダーシップにおいて、肩を並べる者はいませんでした。すこし窪んだ目の光は鋭く、海のように深い、黒みがかった藍色をして、背はそれほど高くないが、彼が森を歩けば木々も道をゆずるほどのオーラがあったそうです。

ボルドーの市民たちは歓喜に沸き、フランスの守備隊をたちまち追い出すと、イギリス軍に市の門を開けたのでした。

リベンジ

タルボ将軍がボルドーの地へと足を踏み入れたのは、これが2度目でした。

前回この地を訪れたとき、彼はジャンヌ・ダルク率いるフランス軍の攻勢に、敗走を余儀なくされたのです。当然、彼は悔しかった。百戦錬磨と讃えられた勇将タルボ将軍が、いくら男の恰好をして、神だか悪魔だか知らないが、その加護を受けていたにせよ、まだ女にもなり切っていない少女にやられるとは、あってはならない恥辱です。

そのとき彼が本拠地を構えていたのが、ぶどう畑の広がるボルドーの一角。フランス軍の動向を監視するために利用していた砦を要塞にしていたのですが、その周辺で出来るワインは、色も濃く、しっかりとした味わいで、その筋肉質で、なおかつストイックな男らしいワインを、彼はとても愛していました。

ひさびさにその砦に上り、かつてしていたように彼方まで見渡したとき、彼はおもいます。

「この地はわれわれのものだ。必ず取り戻す。」

タルボ将軍の胸には、祖国への愛情はもちろんのこと、男としての恥辱を晴らすのと同時に、愛するワインを生む地を奪い返す目的もあったのでした。

そしてその砦こそ、シャトー・ラトゥールのラベルに描き続けられているあの、塔なのです。当時は、サン・モンベール塔(La Tour en Saint-Mambert)と呼ばれ、現在のシャトー名も、「La Tour=塔」に由来しています。

フランス軍VSイギリスの老将軍

100年戦争も終盤。

当時のフランス国王シャルル7世は、ボルドーがふたたびイギリス軍に占領されたと知ると、兵隊を集め、作戦行動をとるべき時期を見極めていました。彼は、ただの羊飼いにすぎなかったジャンヌ・ダルクの才覚を見抜き、指揮をとらせた人物です。この時には彼女を失っていましたが、彼の率いるフランス軍は、着実に勢力を伸ばしていました。

そして1453年。春がやってくると、シャルル7世は軍をボルドーへと向かわせます。

フランス軍が、カスティヨンというボルドー地区の一角を包囲しようとしたとき、タルボ将軍の兵力は6000人にまで増えていました。しかし対するフランス軍は10000人。圧倒的にフランス軍の方が優位でしたが、その指揮官はタルボ将軍をおそれ、自らの陣地を取り囲むように、塹壕と矢来を並べ、さらに300台の大砲をその間にセットするよう兵士に命令したのでした。兵力の差を考えれば、あまりにも防御的な布陣です。

勢い

タルボ将軍は、果敢に軍を進めます。いくつかの野戦も、おおきな損害なく打破し、兵士たちの士気も最高潮でした。夜を徹して、進めてゆきます。そして、フランス軍の陣地まであと少しというときでした。

「フランス軍は退却しているぞ!」

カスティヨンの町からの伝令が、タルボ将軍に伝えます。

「城壁の辺りから、砂ぼこりがもうもうと巻きあがって、遠ざかっていくのを見た!」

その情報を聞くまで、彼は来るべき戦闘の前に、休憩をとろうと考えていました。あらたに援軍も頼んでいたし、いくら士気の高い兵士ばかりと言っても、野戦続きで、疲れも出てきます。かつて、アレキサンダー大王が、戦闘の前に当時は貴重であったワインをふるまったように、あのサン・モンベール塔のワインを皆で分け合いたかった。

しかし兵士たちの勢いはとまりません。

「攻めましょう! タルボ将軍!」

「ここで一気に討ち落しましょう!」

背中で語る

タルボ将軍も、血の煮えたぎるような思いにあらがえませんでした。思えば、この地を追い立てられて20年以上。この時をずっと、待ちわびてきたのです。ある女がいいました。

「いくの?」

「ああ。」

「また私から逃げるのね。」

「違う。」

「勝手に死ねばいいんだわ。」

「待てと言っている。」

「ずるい。」

「戦いが終われば、迎えに来る。」

タルボ将軍は、決して饒舌ではありません。いつも背中で語ってきました。男には果たさねばならぬ使命がある。本当にだいじなものを守るために。でも、すべてを言葉にはしない。曖昧なやさしさは、かえって女を傷つけることになると彼は思うからです。

この、戦いで疲弊した時代に、女は待ち、男は勝ち続けるしかない。哲学でもなければ、詩でもなく、それは現実です。過去に負った恥辱を晴らすだけでなく、自分が自分であるために、この戦いには負けるわけにいきませんでした。勝利を手にし、人々に生きる希望を与え、そして、この地を、我々の手にとり返さなければならない。

行軍

フランス軍10000人に対し、イギリス軍6000人。

その兵力の差をもろともしない、タルボ将軍率いるイギリス軍はあと少しでフランス軍の陣地、というところまで追い詰めました。フランス軍が退却を始めたと報告が入ったとき、タルボ将軍は連戦連夜の疲れを気遣いながらも、行軍を決意します。

「進め! 勇敢なる兵たちよ!」

突撃を告げるラッパが鳴り響き、タルボ将軍は高らかに声をあげました。

それは7月、ぶどうは実を結び、はやければ色づき始める頃。この戦いが終われば、勝利の美酒をわが兵とともに味わうのだ。そうだ、サン・モンベール塔のワインを心ゆくまで楽しもうではないか。そして証明しよう。約束は果たしたと。

すこしよどんだ空に、ウオーーーッと地響きのごとく男たちの声がうねりを上げて舞いあがります。その圧倒的なまでに勇ましい低音を、幾重にも絡み合って、重なり合って、リズミカルに刻んでいく彼らの地を駆ける音。馬の蹄。むせ返るほどの土ぼこりの中で、タルボ将軍はこの美しい音楽を、女にも聞かせてやりたいと思います。

最期

「勝利はわれわれのものだ!」

ところが、彼らが最終的に目の当たりにしたのは、完全武装した数千人にも及ぶ弓兵と、こちらに向けられた数百の大砲でした。敵が退却したというあの伝令は、正確ではなかったのです。

撤退したように見えたのは、来るべき戦闘の前に陣地を去るように命じられた、商人や売春婦たち、非戦闘員でした。

タルボ将軍ひきいるイギリス軍が不利なのは、誰の目にも明らかでした。彼は驚いたものの、怯むことなく、突撃の合図を出し、自ら進撃したといいます。もちろん、それは無謀でした。矢や大砲の雨を浴び、彼自身も倒れた馬の下敷きになって、最期を遂げます。

事実上、百年戦争が終結した、その瞬間でした。

ライオンと老将軍

こうして、ボルドー地区はふたたびフランス領土となるのですが、タルボ将軍の砦であった、サン・モンベール塔はこの戦いの中で完全に破壊され、当初の塔は現存していません。現在、シャトー・ラトゥールのシンボルとして建っている塔は17世紀ごろに建設されたもので、もとは鳩小屋でした。

ボルドーの中でも最も男っぽくて、骨格のしっかりとした、ラトゥールのワイン。

タルボ将軍が伝えたかった、あの壮大な音楽は、ラトゥールを飲むと今でも感じられます。もっと洗練されて、行進曲から交響曲へと進化したような感がありますが、たたみかけるように迫ってくる力強い香り、エネルギーに満ち溢れていながら、深く、時にしずかに響き渡る余韻は、幾重にも絡み合う音の積み重なりに近い、心地よさがあります。

まさに、ワインのオーケストラ。

ちなみに、ラベルの塔の上には、ライオンが跨っていますが、彼は百年戦争よりこの塔の守り神として君臨する象徴だそうです。遠くまで目を光らせ、力強く、媚びるでもなく、堂々と、むしろ近寄りがたいほどの威圧感で見守るライオンは、勇将タルボ将軍の姿とも重なります。

ラトゥールは、しずかに語ります。

決して饒舌ではありません。タルボ将軍のように、背中で語ります。本当にだいじなものを守るには心に剣をもたなくちゃならない。哲学でもなければ、詩でもない・・・。

La tour

その塔は、現実のあるべき姿を堂々と示してくれる。

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