遊び心

シャトー・オー・ブリオン|フランスの宝石②

フランス料理の基礎を築いた一人、アントナン・カレーム

400年以上前から、その宝石のような美しさと味わいでイギリス人を魅了していたシャトー・オー・ブリオン。フランスの宝石と謳われたこのワインを外交に用いて大成功させた人物がいます。

<第一話>は17世紀後半ロンドンでの一幕でしたが、舞台は変わり、フランス、オーストリアへと移ります。

ウィーン会議

時は流れて、1814年。

オーストリアの首都ウィーンで、ヨーロッパ諸国が集まって会議をしたことがありました。議題は、秩序再建と、領土分割。

フランス革命、ナポレオン戦争を経て、ヨーロッパ中の人々が秩序を必要としていたのです。ナポレオン・ボナパルトは、フランスの英雄と讃えられていますが、ヨーロッパ中を侵略、席巻し、一時は征服するものの、さらに欲を出してロシアまで歩を進めた結果、敗北し、失脚しました。

ウィーンでの会議は、いわばその戦後処理。ヨーロッパ各国の身の振り方を、国家レベルで決める必要がありました。敗戦国であるフランスにとっては、我が領土さえ脅かされる状況にあったのです。

外相タレーラン

そのときフランスの代表として外交にあたったのが、タレーランという人でした。かつてはナポレオンに仕えていましたが、ヨーロッパ中を支配する拡大戦略には相容れず、袂を分かちます。彼は、ずらりと顔をそろえた各国の要人たちを前に、主張しました。

「ヨーロッパを混乱させ、陥れたのは、ナポレオンであり、フランス国ではございません。私たちはむしろ、被害者なのです。」

この外相タレーラン、実はあのフランスの宝石、シャトー・オー・ブリオンの所有者でもありました。

彼は会議で催される晩餐会を、フランス国主導で進めようと思い立ちます。なんといってもフランスは敗戦国であり、オーストリア、ロシア、イギリスなど、大国を前に正当性を訴える権利さえない。ナポレオンを敗北させた国にしてみれば、フランス国の領土も分割し、自国の領土にしようと考えていたでしょう。

料理人アントナン・カレーム

タレーランは、美味しいものが人のこころを和ませることをよく知っていました。彼に仕えていた料理人、アントナン・カレームに、言います。

「カレーム、重複した料理のない、季節物の食材を使って、1年間のメニューを考えなさい。」

カレームは、フランス料理のソースを分類したともいわれる料理人。

10歳のとき、親に捨てられ、門を叩いたのがしがない安食堂でした。父親は別れ際、彼にこう言い残したといいます。

「さあ行け、世の中にはいい仕事もある。貧乏は俺たちの運命だが、幸運をつかむのはお前の才気次第だ。今夜か明日、お前のためにどこかの店が開くだろう。神がお前に授けたものと共に行ってしまえ。」

この言葉はいつも彼の耳に響いていました。寝る間をおしんで、彼は勉強したといいます。

立ちあがることもできない、狭い屋根裏部屋。誇張じゃなく、星の光のもとで、文字を読めるようになることから始めなければなりませんでした。父親の声が、聞こえてきます。それがさらに彼を掻き立てました。決して、恨んではいない。ただ、運命を、彼は信じました。

>>>シャトー・オー・ブリオン物語<第三話>へ

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