創作小咄|藤田氏の告白

「呪い」とか「怨念」と申します言葉は、それを経験した者にしか分からぬ恐ろしさがございますな。尤も昔の日本人は記紀神話や今昔物語などの仏教説話を見ましても、その様な事に対して非常に臆病であったと存じますが、いったい現代の科学が発達した世の中では、「因果」や「業」という言葉も信じない人の方が多いんぢゃございますまいか。手前はもう鬚だらけの穢い爺ですので、お迎えが来るのをぼんやり待っていたんですが、漸う昨今になりましてから、このまま死ぬのはあんまりにも罪が重すぎる、せめてあの話をすっかり話しちまってから墓に入りたいものだと、そう思うようになりまして、長い間手前の胸に留めて置いた話をご覧に入れようかという気になったのでございます。それは手前にとりましても業の深い、恐ろしい事件でございますが、どうかしますとあなた様にも何かの参考になると思いますので、辛抱して聞いてやってください。・・・・・・・

その事件が起こりましたのは手前がまだ八歳という幼い時分で、年号にしますと大正十年の、夏祭りの日のことでございました。場所についてはあまり詳しく話にくうございますから、よろしくご推察を願うことにいたしまして、――――と申しますのも、当時の関係者の多くが他界したとはいえ、その土地では未だに人々が暮らしておりますし、この話の性質を考えますと、あなた様にご迷惑をおかけしないとも限りません。もしも「呪い」や「怨念」というものに敏感でしたら、ことに依りますと耳を塞いだ方がよろしいかも知れませんな。いずれにしましても、手前の生まれた辺鄙な村の話で、ございます。

村は、昔から根室家と藤田家という二つの家系が中心でございまして、どちらが村の権力を握るというのでもなく、どちらも銘々に大地主でございました。手前は藤田家の人間ですが、小さい村のこと故、長い年月の間には根室家と血の交換も随分しましたことでしょう、昔は両家の間に色々と確執もあったようでございますが、手前が生まれた時分にはそんな事は感じられませんでした。自給自足の農村でしたので、その当時は作物を分け合ったり、実際に両家の間で婚姻が交わされたりなどしていたのを覚えております。また、根室家では腹の薬が、藤田家では目や耳などの薬が代々伝えられておりまして、それだけは両家それぞれの領分として、各家で秘蔵されていたようでした、その辺りの事情は、あの出来事以来ガラッと変わってしまいましたので手前はよく存じません。それは両家の関係だけではなく、村の存続さえも危うくさせる程の、大事件でございました。

夏祭りと申しますと、今日でこそ明るく楽しい行事でしょうが、当時はそれだけでは済みませんでした。手前の村は農村でしたので、作物が取れなければ生きてゆけません、ですからお祭りは昨年の収穫に感謝をしまして、今年の豊作を願う為に神様にお供え物をし、奉納しますことが重要でございました。その日は子供も大人も、祭りの準備で一日中大忙しでございます、男衆は神社を煌びやかに飾ったり舞の稽古をするのに必死ですし、女衆は供え物を始め、村の人に振舞う食物を供える下準備に追われまして、子供は子供で、水を運んだり親の手伝い等で休む暇もございません。手前はその忙しく、慌しい雰囲気が好きでございました。肌がヒリヒリする程熱い太陽の光を浴びて、親のお使いで家から家へと駆け回り、途中で合いました友達とふざけ合ったりしながらつい田んぼに足を滑らして泥だらけになったりします楽しさは、あの時分でしか味わえないものでございましょう、水を運ぶ途中にあまりにも喉が渇いて桶の半分以上の水を飲んでしまい、また水汲み場へ戻りましたことなど、手前は今でも思い出す事がございます。実を申しますとお祭りの本番よりも準備の方が楽しいくらいでございました。子供は皆そんな風でございましたから、あの可哀想な女子、―――登美子でなくても、手前が疑われましても良かったはずでございます。・・・・・・

登美子とは根室家に生まれた当時十歳の女子でございます。今と違って子供の多い時分でしたから、手前の兄妹も十一人ほどおりまして、手前は下から二番目の子なんですが、登美子も似たようなもので九人兄妹の下から三番目でございました。どういう縁か、根室家ではとかく女子の方が多く、藤田家は男子が多かったのでございます。今でも覚えておりますのは、登美子と云いますと村では「お転婆」で有名でして、ちょうど夏祭りの一月ほど前のことでしたか、村の子供らと大勢で釣りに参りまして、その時手前がアマゴと云うヤマメに似た美しい、腹に朱色の斑点のある魚を釣り上げたことがございました。今でこそ釣具も発達しておりますのでそれ程でもないんですが、当時は大人でも釣るのがむつかしい魚だったものですから、子供達は珍しいもんで、皆羨ましがったのでございます。中でも登美子は目の色を変えまして、恰もその魚が瞳の中を泳いでるかのようにきらきらと目を輝かせながら、手前が網に入れて大事に抱えてからも、ジッと手前の手元を見つめておりました。そのうちに、

「きれいだネェ、あたしにゆずってくれよ」

と、云い出しまして、

「やだ」

と首を振りますと、

「いいじゃないか、よこしなッて。あんたみたいなガキンチョにはもったいないワ」

そういって手前をにらみつけるんでございます。手前はこの通り気が弱かったものですから、

「家にもってかえりてェんだよお」

つい声も小さくなりヘドモドしてしまいまして、登美子の方はそれで一気に勢いをつけましたものか、

「いいじゃないか。あんたの兄さんはうちにいるんだからサ、早くよこになさいッて」

と訳の分らない理由をつけて、手前の抱えている網を強引に引っ張るんでございます。が、手前もおッ母さんに自慢したかったもんですから、ひしとアマゴを入れた網を抱きしめまして、

「堪忍してござい」

と、登美子の腕を思い切って振りほどきました、すると周りにいた子供たちも口々に叫びながら各々思う方に味方をして、アマゴの取り合いになってしまいまして、そうしますとやはり相手の方が年上でしたし体格も大きく味方も大勢おりましたので、結局奪われてしまったんでございます。その後、アマゴが根室家で食べられてしまったのかどうか存じませんが、登美子は味方をした子供達を連れて上機嫌でございまして、手前の方はと申しますと、哀しいやら悔しいやら腹立たしいやらで大声で泣きながら帰りまして、畑仕事から戻ってきたお父ッつあんに「男が声立ててなくんじゃあない」と叱られ、アマゴを盗られたことを云うことも出来ないで、一晩中泣きじゃくっておりました。

そんな風に気が強く、男勝りのお転婆ぶりが祟ったのでございましょうか、お祭りの日、もう日は暮れ始め、あと二時間ばかりでお祭りが始まるという時でございます、村人がお祭りの準備に追われてせわしなく働いております時に、丸もちがない!と、ある女が騒ぎ出しました。丸もちと云うのは、神様に供える紅いもちのことで、数ある供え物の中でも一等大事な物でございます、供え物は各農家が分担して作るんですが、紅い丸もちはちょうど根室家が担当しておりました。で、作られました供え物はいったん藤田家と根室家の間に拵えた即席の集会所に集められるんですが、それが漸く集まりかけた時の騒ぎで、集会所にいた女衆に依れば、確かに丸もちはあったと云うことでございます。それがひとしきり探しましても見つかりませんので、女衆も不審に思っておりますと、誰とは知りませんが、根室の登美ちゃんじゃないかしらとボソッと云う者がおりました。それはたちまち輪をかけて広がり、そういえばさっき登美ちゃんが丸もちをじいッと見てた、と云う女が出て参りますともう止まらず、登美ちゃんはきれいな食べ物には目がなかったし、藤田の坊ちゃんが釣ったアマゴを横取りしたって噂じゃないか、そんなことするのはお転婆の登美ちゃんしかいない、いつも元気でかわいらしいところもある子だったがこんな大事な物を盗るとはいくら根室のお譲ちゃんでも許されるはずがない、悪戯するにもほどがある、・・・・・・などと女衆はコソコソと口々に云い始めたんでございます。と、そこへ具合の悪い事に根室の旦那がお祭りの道具を取りにお戻りになったのでしょう、女衆の話が耳に入ってしまったんですな、女衆も旦那に気が付くと、さすがに不味い顔をして口を閉ざしましたが、時はすでに遅く、旦那は、、、、、

「うちの登美子が丸もちを盗んだと?」

と、女衆に強い調子でお尋ねになりました。旦那は普段から厳めしい面持ちのお方で、農家とはいえ、武家の志を持っておられ、真面目で働き者だそうでございますが、考えが封建時代のまんまで些か固すぎたんでしょうな、それだからこそ、あんな惨い事も出来たのでございましょう、子供であった手前の目から見ましても何やら恐ろしく、近寄りがたいものがございました。

「いえ、登美ちゃんかもしれないと話してたんですが、そうと決まったわけではございません」

そう申したのは手前のおッ母さんでございます。

「なるほど。しかしどうして登美子が疑われるんでしょうな」

「登美ちゃんはお転婆なので、ちょっとした悪戯心でそういう・・・・・」

「普段の行いが悪いと申されるんですかな?」

「悪いと云うんじゃございません。こちらの奥さんは、丸もちをじっと見ている登美ちゃんを見たらしゅうございます。疑って申し訳ございませんが、丸もちがないとお供えができません。もう時間もせまっておりますので、これから用意するにしても・・・・・・」

「よろしい!それ程までに登美子が怪しいと申されるんでしたら、ここに連れて来て吐かせて見せましょうな!」

旦那はおッ母さんの言葉が終わらないうちから激昂いたしました。

「いえ、何もそんな・・・・・・」

「物事はハッキリさせねばなりません。我が根室家の人間が疑われるとあらば、それは私の責任でもあります。皆さんの前で登美子が本当に盗んだのかどうか確かめたら良いでしょう!もし本当にそうであれば私は登美子を勘当します。しかし、そうでなかった場合、この侮辱はただでは帰しませんぞ!」

・・・・・それからが大変でございました、もうお祭りどころではございません。当時は家柄を大事にする時代でしたし、今日では考えられないことかもしれませんが、家の評判はそのまま社会的な地位そのものでございました、たかが子供の悪戯とはいえども、村の大地主である根室家のことですし、まして人一倍、名誉ですとか、体裁を気にする旦那のことでございますから、もし捕まったら登美子は酷い目に合うことくらい目に見えております、手前は家に帰る道々、事の次第をばったり出会った友達にシドロモドロ説明いたしました。旦那はといえば後にも引けないご様子で、いきり立って登美子を探しております、引き連れている者たちも行く先々で膨れ上がって、根室家の者だけでなく、手前の兄さんも含め、その数は三十人を超えたと存じます、それだけでも大掛かりですのに、各家を回って登美子を匿っていないか、そんな家があればどんなに困ろうとも今後一切腹の薬は分けてやらない、畑も買い取ると、ものすごい勢いで申されるのですから、村の者たちも協力しない訳にいきません。そうでなくても小さな村のことでございますから、見つかるのは時間の問題でございました。

そうして手前が家に帰りまして、暫く経った時でございます。おッ母さんが登美子の手を引いて、家に駆け込んで参りました。兄妹のほとんどが登美子を探しに出ていましたので、家には手前とひとつ違いの兄と、すぐ下の妹しかおりません、手前どもは驚きまして、おッ母さん!どうしたいッ!と叫んだように思いますが、おッ母さんは口元に指を一本立てて、

「黙ってなさい!このままじゃ登美ちゃん、殺されちまう!」

顔を真っ青にして申します、そうして押入れの中に登美子を早く!早く!と押し込めるんでございました。が、それと時を同じくして、

「藤田さん!あなたまさか、登美子を匿ってるんじゃないでしょうな!」

と根室の旦那が追っかけてきたんでございます。昔の家ですから、玄関などというものもございません、入るとすぐに土間がありまして、次の間がもう押入れのある寝室です、旦那はすぐにおわかりになったんでしょうな、このまま失礼しますぞ!とドシドシ靴を履いたまま上がりこみますと、おッ母さんが必死に止めるのも振り払って、泣き叫ぶ登美子を引きずり出すが早いか、

「お前は丸もちを盗ったのか!」

と登美子の頬を張りました。登美子は泣き叫ぶばかりで、

「どっちなんだ!答えなさい!」

旦那がますます声を荒げましても答えません。その時に手前のお父っつあんも血相を変えて帰って参りまして、おッ母さんと一緒になって止めようとするんでございますが、

「そもそもあなた方が疑った事でございましょう!根室家の名誉の為にも最後までハッキリさせてもらいますぞ!」

と取り付く島もなく、却って手前の両親の方が根室家の若い衆に取り押さえられてしまったくらいでした。そのうちに旦那は登美子がいつまでも泣き叫んでいるのを見て何かを悟ったのでございましょうか、一瞬キッと眉根を寄せると顔をしかめられまして、

「皆さんよろしいですか!」

と、手前の家に集まった村の者達を素早く見渡し、

「登美子が本当に丸もちを盗んだのか、こうすれば分るでしょうな!」

そう申されるが早いか、腰に下げた鞘から短刀を引き抜き、一気に登美子の腹を一文字に切り裂いたのでございます。目を塞ぐ暇もないくらい突然の事でしたが、手前はその光景よりも、登美子の、耳をつんざくような断末魔の叫び声の方がいっそう凄惨な気がいたしました。登美子の腹は着物でいくらか覆われていましたし、横に走った大きな裂け目が黒っぽく染まってゆきますのも、日の沈むが如く当たり前の事とぼんやり見ておりました。が、それでも尚続きます叫び声には、次第に気の遠くなる手前の腹をも切られる心地がしたのでございます、・・・・・・

それからと云うもの、根室、藤田両家の家運は一気に傾き、水害や天災により作物も獲れなくなり、もっと悪いことには、両家共まったく子宝に恵まれなくなりました。流産、死産になりますことが多く、たとえ運よく生まれましても、不具の子であったり白痴の子であったりで、まともな子はそれ以後生まれることが一度もなかったのでございます。勿論、石塔を立てたり供養したりもしましたが、「呪い」というものはそう簡単に解けないものなんでしょうな、いっかな効果がございませんでした。手前はもはや藤田家最後の人間でございますが、この呪われた血が果てるまで、登美子の霊が慰められることはないのでございましょう。

さて、具にもつかない話をお聞かせしましてあなた様にはえらいご迷惑をおかけしました、そろそろ引き下がろうと存じますが、紅い丸もちが登美子の胃袋に入っていましたかどうか、手前はそれをハッキリとは申し上げませんでした。が、もはや手前がわざわざ白状するまでもなく、あなた様はもうお気づきでございましょうな。・・・・・

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