サービス哲学

サービスとボランティアの狭間②

行き過ぎたサービスが罪な理由

昨日、お客様にとってのほんとうの居心地の良さとは?

考えを深めていました。すでにひとつの結論はあるのですが、いま、資金稼ぎの為にホームページ作成サービスをやっていて、ふと、感じたことがあったのです。

サービスとボランティアの狭間。

ということを。

欲望を受け入れるのはサービスか?ボランティアか?

お客様には要望があり、叶えたい欲望がある。だからそこに、経済活動が存在します。

でも、いくら対価があるからといって、お客様の欲望を盲目的に受け入れるのはサービスなのか。私は違うと思います。

言われたことをやればいい、という仕事の仕方が仕事ではないように、決定的な欠落がある。

私はそれを主体性の欠落だと考えていますが、主体性がないと、すべては作業でしかありません。これからの時代は、そのような作業は、ロボットやAIの方がミスをしない分、ずっと能率よく仕事してくれるでしょう。

では、何が必要なのか?決して、お客様を軽く見たり、邪険に扱うということではありません。むしろ、本当に望んでいることは何なのかを?知るべきなのです。

行き過ぎたサービスは罪

レストランに食事に来たお客様が何を望んでいるのか。

人それぞれと言われれば、そうなのですが、共通して望んでいるのは、幸せだと思っています。世の中に、幸せになりたくないと願う人は誰一人として存在しません。

レストランはある意味、食のエンターテイメント施設ですから、訪れる人はその気持ちをはっきりと持っています。だから、自分のわがままをとことん受け入れてほしい、というのではなく、単純に幸せな気持ちになりたい。だけなのです。

サービスは、それを勘違いしてしまうことがある。お客様の言うことを何でも受け入れることが、喜ばせる道だと思いこんでしまいます。でも、考えてみてください。

この店は私のいうことなら何でもやってくれる、と思ったお客様が、何かの拍子にそれを裏切られたら?

前例を作らない

閉店時間過ぎてもワインを開け、料理を出ししていたら、それも当たり前になります。最初は特別で、と思ってやったことでも、けじめをつけずに前例を作ると必ず、特別が当たり前になってしまいます。そうなると、他のお客様には閉店時間を告げるのに、そのお客様だけは優遇せざるをえなくなる。他のお客様やスタッフなど周囲が見たらどう思うでしょうか。

また、スタッフを抱えていたら、それだけ遅くまで働かせることになります。人件費がかかるだけでなく、労働基準法にも反するかもしれない。

お客様本人にとっても、歯止めのきかなくなった欲望を自ら止めるのは、割と大変です。それを都合が悪くなってきたからと言って、お客様に閉店時間を告げれば、その方はとても気分を害されるでしょう。私のいうことなら何でもやってくれると思いこんでいると、その反動もまた大きいのです。

そこまでいかせてしまった、サービスの罪は大きい。ボランティアでさえもなく、お客様をむしろ不幸にしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。