その他、雑感・雑学

千羽鶴、その一羽に込められた思いの質量

資本について、学んでいた時に、面白いたとえ話があって、印象に残っています。

千羽鶴の話です。

大事な人が入院して、お見舞いに千羽鶴を折ろうということになります。10人のうち、9人は手芸部で、手先が器用でした。

でも、1人だけそうではなかった。

結果、その1人は、他の9人の半分も、鶴を折れなかったそうです。

だからといって、その人の想いは、他の人よりも浅かったのでしょうか?

同じ時間、同じように、大事な人の為に鶴を折っていた。その想いの質量は同じです。

商品価値

ただ、仮に、その鶴に商品価値があるとすればどうか?

その1人は、他の人の半分の価値しか生み出せなかったことになります。

それは言い換えれば、いくら想いは強くても、労働対価は、他の9人の半分になるということです。

差別化

では、その想いと等しく、他の9人と同等の価値を生み出すには、どうしたら良いか?

たとえば、他の9人の折り鶴よりも、2倍品質が高いものを折ることができたら、同等になります。

そしてもし、その1人しか折れないようなオリジナルの折り鶴を折ることができたら・・・?

ひょっとすると、価値は3倍になるかもしれない。労働対価は、他の9人のそれより高くなるかもしれません。

狭義での差別化は、その努力をすることです。

私は、想いの質量に対し、必ずしも品質が伴わないのは当たり前で、むしろその現実をその質量を上回るほどにひたすら努力するのが、求められていることだと考えています。

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