魚のトマト煮込みを考察

メルルッツォ・アル・スーゴ、という料理があります。ぶつ切りのタラをオリーブオイルとトマトとケッパー、にんにく少々に、オリーブオイルと塩で煮込みます。メルルッツォとは「鱈」、スーゴは「出汁」。だから、骨付きのぶつ切りタラでないと、この料理は成り立ちません。

こうした郷土料理は、日本で提供すると喜ばれます。親しみやすい食材の、ちょっと違った料理法。何となく想像できるけど、どんな味なんだろうという好奇心を駆り立てる。レストランで食べるのに、ちょうど良い距離感なんですよね。

目次

魚のトマト煮込みを考察してみよう

メルルッツォ・アル・スーゴをはじめ、シチリア料理では、トマト、ケイパー、オリーブをベースとして煮込む魚料理がいくつもあります。基本的に、どんな魚種でも、それで煮込めばシチリア風といえるくらい。

もちろん地域によってバリエーションはあり、トラパニ風、ファヴィニャーナ風などなど、色々あります。

私も大好きな、魚のトマト煮込み。レストランで提供するなら、シンプルだからこそ、切り口を変えたり、視点を変えたりして、独自の領域に達しないと価値がありません。

差別化するならどうすればいいか、シミュレーションしてみました。

誰も食べたことがないような魚のトマト煮込みを作るには?

当レストランが掲げるコンセプトは「人生最高の美味しい記憶を、お作りしたい」。

記憶に残らなければ意味がありません。

料理だけではなく、演出やサービス、プロモーションにより総合的に組み立てるつもりではありますが、絶対条件は、料理が美味しいこと。それがとびっきり美味しくて、これまで食べたことのない類のものであれば、それに越したことはない。

素材

素材をどうするか。これは料理をする上で、とても大切です。ただ、新鮮であったり、それなりのものを仕入れれば、誰にでも揃えられる。

むしろ、どこまで手を加えるか?もしくは、どれだけ手を加えないか?それには、素材への理解が必要でしょう。

特に、その魚はいつ、どこで捕れたものか、その捕れた地域では他にどんな魚介類が揚がるのか、またどんな環境で育ったと想像できるか。魚が食べているエサと、捕れた時期、捕れた場所、この3つを知るのがポイントだと思います。

エサを知る

釣りをする人は、よく知っているでしょう。

金目鯛はイカが好き、ということを。さらに詳しい人は、同じイカでも、ヤリイカではなく、するめいかで、それもゲソより、胴より、エンペラ(耳)がよく釣れる。ということを知っています。

鯛であっても、何を食べているか。関東で揚がるものと、関西で揚がるものと、食べているものは、同じではないはずです。メバルやカサゴなど、岩場に潜む魚ならば、同じ岩場に住む貝類や、そこで孵化した稚魚を狙うかもしれませんし、より海底に住んでいれば、落ちてきた甲殻類、小魚の死骸を食べているかもしれません。

それらが血となり肉となるのですから、料理へのアプローチは変わるはず。たとえば小魚を食べているカサゴと、エビを食べているカサゴは旨み成分や脂のりが異なります。

季節を知る

そして、同じ場所で捕れる魚であっても、捕れる季節により、味は大きく異なります。

大きく、脂のりに影響するように思います。一般に、寒い時期に捕れる魚の方が、脂のりがよくなる。これは、人も同じで、脂肪分を蓄え、寒さから身を守るのです。

産地を知る

北の魚か、南の魚か。○○産、という情報は上記を知るのに必要不可欠。

ここまで想像し、考えることができれば、記憶に残る一皿の為の、ベストなアプローチが可能になると思います。

素材へのアプローチ

では、そのベストなアプローチとは何なのか?考察を深めていきます。

素材へのアプローチとは

料理をする魚について、知った。次に考えるのは、その魚の良い風味を引き立て、良くない風味は削り、相乗的に美味しく感じられるように手を加えること=料理することです。その為の手法はいくつあるのか?その幅と深さこそ、知識とスキル、経験がものをいう。

科学的に捉えると、人が美味しいと感じるのは「栄養素を摂取できた時の快感」です。「美味しい」ということを、科学的にとらえることについては、ずいぶん前に答えを出しました。

栄養素とは、エネルギーとしての炭水化物、身体を構成するためのたんぱく質

このふたつにはしかし、それ自体に味がありません。炭水化物を分解する「」と、たんぱく質を分解する「アミノ酸」に、人が強烈に好む味があります。

そして、人が感じる味の要素は「甘味」「酸味」「渋味」「塩味」「旨味」の5つあって、糖の「甘味」とアミノ酸の「旨み」を軸に他の味わいの要素を足したり、引いたりするのが、料理の基本設計となります。

そこに食感、盛り付け、雰囲気、演出、プロモーションなど、細かなアレンジを施して完成となる。

アミノ酸のパワーバランスを量る

魚自体に糖分はありません。あるのは、たんぱく質を分解するアミノ酸=旨み。

魚の良い風味を引き立てる、というのは、具体的にいえば、いかに魚に含まれる「アミノ酸」を増幅させるか、ということです。旨みというのは、面白くて、ひとつの素材に含まれる旨味だけで味わうよりも、他の素材の持つ旨味を組み合わせた時の方が数倍も強く感じることがわかっています。

魚のトマト煮込みにおいて、トマトを加えるのは、科学的にいえば、魚がもつイノシン酸と、トマトのもつグルタミン酸の掛け合わせであり、旨みの相乗効果を得る為に最高なのです。

そこでプロとして考えるべきは、レシピに頼らず、感覚でその旨みの相乗効果を最大限まで引き出すこと。

科学的に分かっていることは、もっとも相乗効果を発揮するのは、それぞれのアミノ酸量が1対1のとき。つまり、魚のイノシン酸と、トマトのグルタミン酸の量を等しくすること。しかしそれを正確に計るのは現実的に困難ですから、頼りになるのは自分の味覚です。感覚的にここが優れている人は、料理人としての才能があるといえます。

素材を知る意味

素材のところで、魚を知り尽くす必要があるのは、魚に含まれるイノシン酸量を知る為でもあります。

魚にどれだけのイノシン酸が含まれているかを知るには、魚が死んで、たんぱく質が分解される過程を知り、どの時点でイノシン酸がMAXになるかという基礎知識がまた必要になります。これについては、以前、こんな記事を書きました。

簡単にいうと、イノシン酸はたんぱく質を分解する時にどんどん増えていきますので、死後、ある程度の時間が経ったものの方がイノシン酸は多く含まれているということになります。だから、新鮮であればあるほど良い、というわけではなく、鮮度よりも、どう扱われたかの方がもっと大事です。詳しくは、「感動するほど旨い刺身を提供するには?」をご覧ください。

ということで、素材へのアプローチの出発点はこうなります。

魚のイノシン酸とトマトのグルタミン酸のパワーバランスを量る。

いやあ、料理って、深めると底が見えないくらいですね……

トマトの旨み成分を引き出すには?

料理は素材のかけ合わせでもあります。ライバルのように互い高め合う素材の相性もあれば、仲の良いカップルのように寄り添って相乗効果を生む相性もあります。トマトと魚は、後者でしょうか。

トマトは、熟していれば熟しているほど、グルタミン酸が増加します。そして、その旨み成分は、外側よりも内側に多く含まれるという。高級リストランテでは、トマトの種をこし器等で取り除きますが、旨み成分を残すことを考えるとそれは逆効果。種は入れた方が良いのです。

加熱方法にも、ポイントがあります。トマトのグルタミン酸をもっとも高めるには100度で一気に加熱すること。60度で加熱するとグルタミン酸は減少します。

ただし、トマトにもグアニル酸という干し椎茸に多く含まれるアミノ酸の一種が含まれており、それは50~60度で増加することが分かっています。魚のトマト煮込みの場合は、イノシン酸×グルタミン酸の相乗効果を狙うので、強火で一気に過熱し、沸騰したら火を弱め、余計な水分を飛ばしたら、火を止めます。グルタミン酸を最大限に引き出すには煮込すぎない方がいいということです。

ベストな料理工程

これまで考えてきた結果から、ベストな料理工程が見えてきます。

まずは、素材の魚を見極め、そのイノシン酸含有量を測ること。鮮度が良すぎる場合、すこし寝かせてイノシン酸が最高潮になる頃まで待ちます。目安は、死後硬直がとけた時。

〆方や保管、保存方法によりますので一概にはいえませんが、魚の筋肉エネルギーとなるATPが分解されて出来るイノシン酸は、死後硬直したのち、30分後くらいがピークになるという話です。

その魚のイノシン酸含有量が計れたら、次は、トマトのグルタミン酸との相乗効果を最大限狙います。気を付けるのは、トマト、及びトマトソースの量です。多すぎてもいけないし、少なくてもいけない。魚の持つ、イノシン酸量と同量のグルタミン酸量をかけ合わせれば最高の相乗効果となります。

ただし、トマトは100度で一気に加熱するとグルタミン酸は増加し、60度では減少しますから、それを計算に入れなくてはなりません。手順としては、フライパンでトマトソースを作り(強火)、そこへ火の通りを逆算して、十分に旨みののった魚を投入(中火)。魚に火が入るまで火を弱めながら、トマトソースを絡めて提供。というのが自然な手順です。

ここでようやく、味の5大要素(「甘味」「酸味」「渋味」「塩味」「旨味」)を調整する必要が出てきます。魚とトマトから、「甘味」「旨み」は引き出してこれました。あとは足りない部分「酸味」「渋み」「塩味」をおぎないます。

不足している「酸味」「塩味」「渋味」は何で補うのか?

郷土料理の構成を調べると、あまりにも理に適っているので驚かされます。シチリアでは、魚のトマト煮込みにつかわれるのはケイパーやオリーブ、アンチョビ。これはまさに、「酸味」「塩味」「渋味」を持つ副材料!

これらの強さを調整することで、料理の完成度は高くなります。

味の構成をデザインする

人が感じる味わいには、5つの要素があるとしています。

「甘味」「酸味」「渋味」「塩味」「旨味」

以上5つの要素をもとに、素材の持つ特徴、強み、弱みを組み合わせ、デザインするのが料理です。

素材へのアプローチは大きく3つ。

生・加熱・冷凍

それぞれの段階で、素材がどのように変化するのか知っておかなくてはなりません。「魚のトマト煮込み」の場合、魚とトマトから、「甘味」「旨み」は引き出してこれました。あとは足りない部分「酸味」「渋み」「塩味」をどのバランスで組み合わせるかが焦点です。

郷土料理から学ぶ

シチリアで魚のトマト煮込みに使われるのはケイパー、オリーブ、アンチョビ。

これを味の5大要素に当てはめると、まさに「酸味」「渋み」「塩味」において特徴のある副材料になります。厳密にいえば、トマトで煮込むのですから、酸味の核となるのはトマトです。ところがケイパーの酸味というのは、ともすれば飽きてしまう単調な味わいに独特の印象を与えることの出来る酸味です。

トマトの甘味を引き立て、酸味に風味を加えるので、互いの相性も非常に良い。仮に、ケイパーがなかったら、この料理はシチリアらしさを欠くことになるでしょう。

そういう意味では、オリーブ、アンチョビも同様です。オリーブは渋味も演出できる素材で、独特の香りも出ます。この香りがなかったら、とたんにシチリアらしさを欠くことはいうまでもありません。

アンチョビは旨みを伴った塩味が特徴で、副材料というより調味料として真価を発揮します。

プロヴァンス風

フランス・プロヴァンス地方でも、トマト煮込みは有名です。

シチリア同様地中海に面するので産物も近いものがあるのですが、特徴的なのは、オリーブオイル、にんにくに加え、香味野菜とハーブを使うこと。シチリア風と違うのは、味わいのボリューム感が全体的にスリムで軽めです。トマトも、シチリアのように凝縮させず、ハーブと合わせるためにフレッシュ感を残した仕上げにします。

らーめんでいうと、シチリアはこってり、プロヴァンスはあっさり。これが味の構成をデザインするということです。

独自色を打ち出す

さて、レストランならではの独自色を打ち出すにはどうするか?

これはコースの中の一品として提供するのか、スペシャリテとして提供するのかによっても変わります。明確な答えはまだ出せていませんが、シンプルな料理ですから、あまり足し算はせず、魚そのものの「旨み」を最大限、引き出すこと。

そのための、トマトであり、副材料として考えようと思います。

最も差別化できるのは、何を加えるかよりも、素材をどれだけ熟知し、その旨みを引き出すために、どれだけ考えられたか

これに尽きるでしょう。

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