以前、尾崎豊の楽曲で『僕が僕であるために』について書きました。
>>>僕が僕であるために
この楽曲に、私は惹かれ続けています。ことあるごとに思い出す。
その理由が、分かった気がしました。前回の記事でも、
「」
自分との約束を守ったり、言葉にしたことに責任を持ったり。勝ち続けるとは、自分自身に誠実であり続けられるか、ということと同義です。
えらそうにそう書いてる。
この楽曲のすごさ、というか、尾崎豊の言葉の力なのか、私が漠然と感じていたものが、年を経るにしたがって、より身に迫って、具体的な事象となって目の前に現れてきました。
というのは「正しいものは何なのか?」という問いに対し、正しくないことをして身を滅ぼした人をごく間近に見て、自分自身もまた、大きな被害を被ってきたのです。こうしたことが、振り返れば、人生の随所で散見される。
それに気付き、正しさを悟れと神様は仰っているのか、私はようやく、哲学レベルで、自分の使命が分かってきました。
正しく、未来を照らす男であれ
使命とは、限りなく個人として考えていることですが、それも突き詰めれば、公のものと表裏一体であるかもしれません。私は、100年続くレストランの創業者としてどんな使命を負っているのか、と考えると、一本筋が通っていると思っています。
正しく、未来を照らす男であれ。
勝ち続けなきゃならないのは、決して、自分のためではありません。末代まで続く未来を照らすことをやろうとしてる。正しくなければ、強くなれず、強くなければ、勝てません。
勝つべからざるは己にある。
勝てない理由はすべて自分にあって、その根本は何かというと、正しさなのです。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!