たとえ、波乱がおきようとも、恨まれようとも、正しさを貫く勇気は持っておきたいものです。
たとえば、先輩が不正をしている。
先輩がしてるからいいや、といって同じことをすれば同類です。不正が犯罪ならば、同じ犯罪になるのと一緒だからです。
また、見てみぬふりをするのは、たちが悪い。
もし、その心の内で正しさを持ち合わせているのなら、自分を裏切ることになります。その後ろめたさは、徐々に自分自身をむしばんでいく。正しいことと、そうないことの区別がつかなくなってくるのです。
なにより、見てみるふりをしてごまかすと、その本質から目をそらすのと一緒なので、解決しようにもできません。傍観者という立場は、見ようによってはとても卑怯です。
かといって、清廉潔白、正しさを押し付けるのもまた、違うのかもしれないと思うのです。先輩の不正にも、やむを得ない理由があったのかもしれない。決して、良くないことではあっても、完璧な人間なんて存在しません。
正しさも行き過ぎると、害になる。良いか悪いか、二者択一で、自分の正義を相手に押し付けるのは違う。正しさの答えは、いつもひとつではない。
正しさを貫く
では、自分自身の正しさを貫くにはどうするのか?
正しさに背をむけないこと。これしかないのでは、と思います。先輩の不正は正しくなくてもその理由を聞き、ひとつひとつ、ベストな答えをだしていく。
面倒ですし、楽ではありませんが、後ろめたい生き方はしないですむ。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!