料理とワインについて

SUSHIの歴史と発展

寿司が日本に誕生したのは、1200年以上前。

710~794年、現在の奈良市にある平城京に都が置かれた奈良時代にはすでにあったようです。

川魚を塩と飯で漬け込み熟成させる「なれずし」がはじまりでした。

その元をたどれば東南アジアの山奥で、手に入りにくい魚を長期保存する手段として発達したもので、稲作文化と共に中国から伝わったとか。

平安時代における寿司

鮨は『今昔物語集』に登場します。

鮨売りの女が酔いつぶれて、売り物の鮨桶の中に嘔吐してしまったので、あわててかき混ぜてごまかした。

藤原朝成は肥満に悩み、医師に減量法を尋ねたところ、『夏は水漬け飯、冬は湯漬け飯を召しあがればよい』と教えられた。そこで鮎の鮨をおかずに湯漬け飯を食べたが、食べる量があまりにも多いので結局痩せなかった。

当時は嘔吐物と混ざっても気づかれない程、相当、臭かったと想像されます。

鮒寿司で知られる乳酸発酵した、「なれずし」のようなものだったようです。

なれずしとは

魚を塩と飯で乳酸発酵させたのがなれずし。

数か月、場合によっては数年間、発酵させるという。

乳酸発酵により酸っぱくなり、phの低下により雑菌の繁殖を抑えつつタンパク質が分解され、それに伴いうま味となるアミノ酸が増加します。

のちに江戸時代になると酢が出回るようになり、酢飯を使用した寿司が主流になったようです。

江戸前寿司

江戸の郷土料理となった江戸前寿司。

東京湾には、新鮮で豊富な種類の魚介類が水揚げされました。

それらを酢飯にのせ食べさせたのが握りずしです。

北大路魯山人が書き残したところでは、寿司は立ち食いが主流で、座って食べる習慣はなかったのだとか。

さっとにぎって、さっと食べて、さっと帰る。

せっかちな江戸っ子らしい、日本のファストフードだったんですね。

なぜ、関西に寿司文化が伝わったのか?

関西に寿司文化が伝わったのは、1923年の関東大震災がきっかけです。

被災した職人が全国に移り住み、その土地に合った寿司文化が発達します。

めはりずし

関西南部、和歌山熊野地方や奈良県吉野郡の吉野周辺では高菜の浅漬けの葉でくるんだ「めはりずし」が有名です。

すし、とつくものの、元はおにぎりのようなもので、農作業や山仕事のお弁当としてはじまりました。

なぜ「めはりずし」というかというと、「目を見張るほど旨い」からだそうです。

柿の葉寿司

奈良、和歌山、石川県の郷土料理として有名な柿の葉寿司。

和歌山紀州藩の漁師が近海で捕れたサバの塩漬けを大和(奈良)へ行商しにきたが、その頃には塩気が強すぎました。

そこで、その塩気を和らげるために薄くそぎ切りにして飯と一緒に食べる方法を編み出したのが柿の葉寿司の始まりです。

殺菌効果のある柿の葉に包むことにより、保存に適するようになりました。

また、柿の葉の香りが寿司に移り、風味も良くなります。

松前寿司

江戸時代から明治にかけて、北海道の海産物を京や大阪まで運んだ松前船には、朝廷に献上された昆布やにしんが積まれてました。

松前寿司は、サバの棒寿司を北前船で運ばれた北海道の昆布で巻いたものをいいます。

バッテラ

バッテラは何語か知ってますか?

ポルトガル語で「小舟(bateira)」という意味なんですね。

今ではサバの押寿司に白板昆布を重ねたものですが、元はコノシロ、という魚でした。

コノシロを開くと尾の方は細いので、飯も片側を尖らせたその姿がボートに似ていたことからそう呼ばれるようになったようです。

笹巻寿し

押しすし笹の葉で巻いた寿司で、富山県のマス寿司が有名です。

保存性を重視した寿司の為、種、酢飯とも酢をかなり効かせて作ります。

 

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HICO
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