会議は踊る、されど進まず。フランスの手品に皆、興じたり
400年以上前からフランスの宝石と謳われたシャトー・オー・ブリオン。それを外交手段に用いようと考えたのが、1814年ウィーン会議が開かれた時フランスの外相であったタレーランでした。
彼はお抱えの料理人アントナン・カレームに、この会議に出される料理を、季節物の食材を使って、料理がひとつも重複することのないメニューを、1年分考えるよう、申しつけます。
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ピエスモンテ
10歳の時、親に捨てられ、安食堂に拾われたアントナン・カレームは、必死で勉強します。
もの覚えが良い彼は、2年もすると、料理に関することなら不自由なく本が読めるようになります。そして17歳のとき、彼の努力は認められ、有名パティシエ、バイィの弟子入りを許されたのでした。
そのころから時々、画廊を渡り歩くようになります。ものの造形、色彩、バランス。自然の中に偉大さを見、人々が織りなしてきた芸術作品に、その調和を見出しました。
彼の芸術的な土壌はさながら砂漠のように広大であり、そうした美しさに触れるたび、うるおい、貪欲に吸収されていきます。師匠のバイィはすぐにその才能の芽を認め、ある国際的な祝宴のテーブルに、彼のピエスモンテを出すことを約束しました。
ピエスモンテとは、砂糖や焼き菓子などを用いて、建築物のように積み上げた、精巧かつ装飾的な意味合いの細工菓子。当時の菓子店のショーウィンドーにはよく飾られていて、パティシエのセンス、知識、技術、人間性を問われる、看板作品でした。
もとより、建築に興味のあった彼は、すでにおおくの知識と、発想を持っており、それを形にする才能にも秀でていました。ピラミッドや、東洋の寺院、古代の遺跡をかたどったピエスモンテを創造します。それを見た人々は驚嘆しました。中にはその高さが数フィート(1メートル以上)にも達し、道化がその上に乗って、踊れるほどだったといいます。
目論見
タレーランも、そのピエスモンテに感動したひとりでした。師匠のバイィがタレーラン邸に出入りしていた縁もあり、カレームはタレーラン邸お抱えの料理人になります。
シャトー・オー・ブリオンの所有者になったのも、ちょうど、そのころのことでした。「フランスの宝石」とジョナサン・スウィフトも話していた、噂のワインです。
外交にワインを利用するのは、フランスの外相として常とう手段。その外交手腕において右に出るものはなかったというタレーランですから、どんなワインが自国を最も有利にするか考えたのでしょう。名だたるワインの中でも、彼は「フランスの宝石」を選んだのでした。
タレーランは、カレームに課題を課します。
「カレーム、これはフランスの宝石ともいわれる最高のワインだ。このワインに合わせる素晴らしい料理を考えてみなさい。」
カレームにとっては、それまでワインと料理というものを合わせて楽しんだことがありません。
貧困のどん底にいた彼にとっては、ワインはまだまだ高級品であったのです。キッチンで、彼は悩みました。シャトー・オー・ブリオン。そのワインの持つ個性に自分の料理を合わせるために、どうすればいいのか。
そうして下した決断は、ピエスモンテの世界観を、料理にも持ち込むことでした。
調和
「ピエスモンテは芸術作品だ。」
彼はそう思っていました。肉体的なことよりもむしろ、精神の悦びのためにそれはある。その建築的な美しさや構造にこそ、芸術性があり、そこに人の手によって精巧な装飾を施すことで、かえって自然と調和する。
シャトー・オー・ブリオンはワインのピエスモンテだ。ただ、決して派手ではない。むしろ落ち着いて、ひっそりとした、誰も訪れることがない古い寺院のような趣でありながら、ひとたび足を踏み入れれば絢爛たる情緒に驚かされる。
フランスの手品
1814年のウィーン会議で各国の要人に提供されたのは、カレームの考えた料理と、シャトー・オー・ブリオンでした。
外相タレーランが、カレームに要求していたのは、2つ。
「重複した料理のない、季節物の食材を使って、1年間のメニューを考えること」
「フランスの宝石ともいわれるシャトー・オー・ブリオンに合わせる素晴らしい料理を考えること」
カレームはその期待に見事、応えます。
精巧で、繊細、そして華やかなカレームの料理と、絢爛でありながら情緒的なシャトー・オー・ブリオン。
だれ一人、賞賛しない者はいませんでした。
会議は踊る
フランスにとって都合の良いことに、肝心の会議は、大国間の利害が対立してなかなか進みません。タレーランが主催した晩餐会は連日連夜、繰り返されます。それにも関わらず、同じ料理がひとつとして出てこないのを皆、不思議がりました。
あるオーストリアの将軍が言ったそうです。
「会議は踊る、されど進まず。フランスの手品に皆、興じたり。」
そうして会議が始まって一年後、フランスは、支配下にあった国は手放したものの、領土は分割されることなく、望み通りの結果がもたらされたのでした。
タレーランの戦略と外交手腕もさることながら、カレームの料理と、シャトー・オー・ブリオンが、フランスの危機を救ったのです。
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