明日描く絵が一番素晴らしい
1855年パリ万博において、2級に格付けされたムートン。
その雪辱を果たすために立ち上がった、フィリップ男爵の飽くなき挑戦の物語。
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我はムートンなり
1945年以降、フィリップ男爵は、毎年アーティストにラベルを依頼することを決めます。
奥さんを失った彼は、以前にまして、ワイン造りに打ち込むようになりました。そうしないことには、哀しくてやりきれない部分があったのでしょう。
彼はラベルにこう記しました。
「われ1級にあらねど、2級の名には甘んじられぬ、われはムートンなり」
錚々たるアーティストの協力
そんな彼の思いや努力は、市場がいちばん理解していました。
ムートンが1級でないのはおかしい、ラトゥールもたしかに凄いし、ラフィットのスケールは宇宙なみだ、マルゴーのエレガンスには敬服するし、オー・ブリオンのエキゾチズムにはぞくぞくする。
でもムートンの芸術性はすべてを超越しているじゃないか。
そんな声が上がり始めます。
ムートンのラベルを飾る一流のアーティストたちも、協力を惜しみませんでした。
1947年には、ジャン・コクトー。
1958年にサルバドール・ダリ。
1969年にホアン・ミロ。
1970年には、後ろから首をのばしてキスをする絵が有名な、マルク・シャガールも書いています。
ライバルも認めた実力
他の1級シャトーも、その実力を認めないわけにいかなくなりました。
シャトー(醸造所)元詰をはじめとして、ぶどう作り、ワイン醸造、販売、その他の事業において、その向上のために先陣を切っていたのは他ならぬムートンだったのです。
フィリップ男爵は、自ら行ってきた改革を特別に隠すこともしませんでしたので、周囲はムートンを見て、それに従ったり、改善したりしていました。
1級シャトーでさえ、その例外ではありません。
1970年代初頭、1級シャトーのオーナーたちが集まり、4者会談が行われます。
議題は、シャトー・ムートン・ロートシルトの一級昇格について。
当時のラフィットのオーナー、エリー・ロートシルト男爵は、フィリップ男爵のことを快く思っていませんでした。
もとを辿れば同じ血筋。違うのは、エリー男爵はフランス系、フィリップ男爵はイギリス系です。
エリー男爵は、フィリップ男爵よりもひとまわり下でした。
負けず嫌いで、ワイン作りにも熱心に取り組み、ラフィットの方が血筋も品格も実力も上だと信じていた。
フィリップ男爵のやり方はご機嫌とりで、品がない。ラベルの華やかさに皆だまされているのだと、ムートンの躍進を懐疑的に見ていました。
だからその会談の際、すぐには首をたてに振りませんでしたが、本当はライバルの実力を誰よりも理解していたのは、彼自身なのです。
どうしたらムートンのような芸術性を表現できるのか、思い悩み眠れない夜を過ごしたこともあったでしょう。同じロートシルト家ということで、1級という立場にありながらずい分、比較されもしました。
われはムートンなり、か・・・。
飽くなき挑戦
周囲の賞賛の声をしずかに聞きながら、賛同の意を何度目かに問われたとき、彼はついに受け入れたのでした。
こうして、時の農業大臣、のちに大統領にもなるジャック・シラクが、ムートンを1級に引き上げる行政命令に署名します。
1973年、パブロ・ピカソ最後の作品がラベルを飾った年でした。
フィリップ・ド・ロートシルト男爵はラベルに記しました。
「われ1級となりぬ、かつては2級なりき、されどムートンは不変なり」
格付けを巡る長い挑戦に、ようやく決着がつきました。
しかし彼にとって、それは終わりではありません。ピカソは言いました。
「明日描く絵が一番すばらしい」
その時すでに71歳になっていたフィリップ男爵は、格付けなど、どうでもよくなっていたのではないでしょうか。
1級でも2級でも、ムートンはムートンである。1級になることがほんとうの目的ではなく、ムートンがムートンであり続けること自体が彼の夢だったと思います。
そのためには、勝ち続けなければならなかった。
夢の続き
1987年、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は85年の生涯を終えます。
その年のラベルには、ムートンのモチーフである羊の角らしきデザインをバックに、彼の肖像画が描かれています。そして、
「ムートンの改革者たる父、フィリップ・ド・ロートシルト男爵へ。
あなたの65回目にして最後の収穫であった、この年のワインを捧げます。」
と、彼亡き後を引き継ぐフィリピーヌ・ロートシルトのメッセージが綴られています。
彼女は、強制収容所で亡くなった妻、リリーとの間にできたフィリップ男爵の娘。
1945年、リリーを失い、失意のどん底にいた中、力強いラベルで平和と、人々の生きる喜びを取り戻そうと、哀しみに立ち向かった父を、彼女は尊敬していました。
ずっと、見てきたのです。
彼の飽くなき挑戦を続けた人生を、その苦悩を、その努力を、彼女は知っていました。
彼女はその最後にこう付け加えます。
Mouton ne chenge
ムートンは不変なり。
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