我々はかならず勝利する。どんなに辛くても勝ち抜く
1855年パリ万博において、2級に格付けされたムートン。
その雪辱を果たすために立ち上がった、フィリップ男爵の飽くなき挑戦を引き続き、お伝えします。『シャトー・ムートン・ロートシルト|飽くなき挑戦の物語①』はこちらからどうぞ。
新しい風
フィリップ男爵は、ワインの品質を高めるため、次々と斬新なアイデアでワイン造りに励みます。
まず、畑に入りました。ぶどうを自ら作り、収穫し、発酵、醸造、販売まで、すべての作業を自分の醸造所で行いました。
今でこそ、それは一般的なのですが、当時は革新的なことです。
ネゴシアンというワイン販売業者がいて、彼らが瓶詰、ラベル貼り、販売までをすべて行っていました。完成した製品を手渡すだけのシャトー(醸造所)は、ボトルの外観にまで関心を持っていなかったのです。
1924年、彼はこの改革を記念して、当時の人気ポスター作家であった、ジャン・カルリュにラベルを依頼します。
きちんと、自らの身元も記し、シャトーで瓶詰をしたことを保証しました。これが、いまの高品質ワインに至る「シャトー元詰」のはじまりです。
悲劇
彼には、自信がありました。
1級シャトーに負けないワイン作りはもちろん、品質管理、販売も徹底しています。誰も、ここまでこだわって作っている者はいない。それだけのことをしていました。
それからも、彼の改革はどんどん進んでいきますが、一方で、ナチズムの台頭、第二次世界大戦と、ヨーロッパ全体が暗雲に覆われ始めます。
そして、時は1945年。
戦争は連合国の勝利に終わりますが、その傷跡は痛ましいものでした。
ドイツ軍の占領下に置かれていたため、国土は疲弊し、人々はやりきれない気持ちを抱えたままです。
フィリップ男爵自身も深い心の傷を負っていました。
大戦中、シャトーは没収され、ロンドンに命からがら逃げたものの、彼の奥さんリリーはゲシュタポに捕えられ、この年、強制収容所で亡くなってしまったのでした。
勝利
彼は失意の底で、いまの自分に何ができるだろうかと考えました。
折しもそれは、ぶどうの花が咲く季節。
これからぶどうは実を結び、どんどん色づいてくる。皆でそれを収穫して、ワインを作る。瓶詰めするのはもっと先だが、最初の一杯は、いつもリリーや近しい人たちと一緒に飲みました。
「10年後が楽しみだね。」
そういった彼の言葉の先には、いつもリリーがいるはずでした。
彼の脳裏にふと、故郷イギリスの首相、チャーチルが思い浮かびます。
狂気の独裁者ヒトラーと戦い、強いリーダーシップで、イギリスを勝利に導いた英雄。
ナチスの猛攻撃が加えられたとき、建物もなにも破壊された焼け跡に立って首相は悠然と葉巻をふかし、Vサインを掲げたそうです。
「我々はかならず勝利する。どんなに辛くても勝ち抜く」
その姿はなんとも勇ましく、潔く、人々に自信と希望を与え、闘志を奮い起させたのです。
男爵はその迷いのないストイックな力強さを、ラベルに表現しようと思い、まだ無名ではあったが若き才能にあふれた芸術家フィリップ・ジュリアンに、製作を依頼します。
そうして出来上がったラベルは、実をつけたぶどうの蔓に囲まれ、中央に月桂樹の輪とVの文字、さらに「1945 ANNEE DE LA VICTOIRE」(1945年 勝利の年)と書かれた、力強く、生命感あふれる作品になりました。
これ以降、フィリップ男爵は、毎年、アーティストにラベルを依頼するのですが、ここからの躍進は、また明日、お話したいと思います。
>>>シャトー・ムートン・ロートシルト物語<第三話>へ
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
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