戦国武将で誰が好きですか?
経営やマーケティングを学んでいる人は戦国時代に詳しい人が多くて、そんな雑談をよくします。
その手の質問には、都度、私の答えは変わっていたのですが、ここ2-3年は、真田信繁(幸村)、もしくはその父、真田昌幸。と答えてます。
理由は、知略にすぐれながら、縁と恩と感謝を大事にしているから。真田昌幸は、『表裏比興(ひきょう)の者』と秀吉に評されるほど、主をころころと替えてきました。
でも、この評は本質を言い当てていない。真田昌幸は、裏切りが常であった乱世において、その子、信繁(幸村)同様、最後まで義を貫いた武将です。なぜなら、昌幸が主を変えたのは、領地を守り、真田を存続させるため。ただ、それだけでした。
昌幸は、元々、武田信玄に仕え、信玄が没すると、その子、勝頼に仕えます。武田滅亡後、あれほどころころと主君を変えた昌幸でも、武田の元にあっては、どんなに苦境に立たされようが、裏切りはしませんでした。
昌幸は、武田に背くことは一度たりとてなかったのです。主を変えようが、常に守ろうとしていたのは武田の領地。そのためなら何でもしただけのこと。私は昌幸の生き方に、非常にまっすぐな芯の通った、義を見る。
信繁(幸村)もそうです。
彼は、豊臣秀吉の世話役として仕えました。秀吉には、よくしてもらったのでしょう。関ヶ原の合戦後、和歌山の山奥へ流罪となって14年後、彼は迷うことなく豊臣方につきます。
真田昌幸、信繁の戦略の中心には、必ず、義がありました。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!