「それは違う。」
そう思っているのに、従わざるを得なかった経験はありますか?
例えば、部活動の監督の指導、上司の指示、社長の方針。
結果、やっぱり自分の思ったとおりにすればよかった!なんて後悔した経験。
組織に属するその属し方にもよりますが、一般的なピラミッド型組織の場合、一定の規律と規範があり、そこから外れることはタブーでした。
日本人が大切にしてきた調和。人の和。協調精神。
文化として根付いた枠組みから外れる人を、異端児、あるいは無法者。
場合によっては、犯罪者になります。
飼いなされたサラリーマン
<普通>は嫌だな格好悪いな、という思いがありました。
高校を卒業し、大学に進み、就職して、所帯を持ち、生活水準を上げるため頑張って働くステレオタイプな生き方に魅力を感じなかったんです。
今では、一概にそうとも思わなくて、<普通>であり続けること自体が奇跡だし「すごい」と思いますが、ただひとつ譲れないことは、誰かに左右される人生は嫌だということです。
会社に属している限り、人生の主導権は自分にありません。
いや、本当はあるのに、そうできなくなっているというのが正しいでしょうか。
いずれにしても約束された所得の代償として、時間をはじめ、多くの自由を奪われることは確かです。
誰かの言いなりになりたくないし、飼いならされたくない。
後悔のない失敗なら納得できる
最近、目にするのは、ある分野で突き抜けた人たちが口々に言っている、個人の力や人間力です。
皆で堕ちていくのを選ぶか?
ひとり、這い上がる道を選ぶか?
極端な言い方になりますが、誰もがいずれかの選択を迫られている時代だと感じます。
皆でいると安心です。
でも、それで本当に自分は幸せか。
死ぬ間際に、与えられた人生を生き切ったと言い切れるか。
疑問です。
たとえ、失敗しても、自分で考え、自ら選択した失敗は、誰かに同調して後悔するより、よほど価値がある。
もう、自分を殺すのはやめよう
これまで多くの人が会社の理念とルール、方針に従ってやってきたわけですが、国自体が盤石とはいいがたい中、依存するのは大変なリスクです。
ある投資家が言っていました。
会社や強者に依存する時代は終わったと。
これからは、ひとりで生き抜く力を持たないと大事なものも守れません。
それには心から共感します。
誰かに依存しなくても、生きていける。
その自信が、誰にも指図されない人生を築く一歩となる。
そして、それが出来てきたら、やりたいことを思いっきりやれる環境を整えていきます。
これまで得手不得手かまわず、自分の意志も無視して、与えられたことをこなしてきました。
会社や強者に屈して、固唾をのんだこともしばしば。
しかしもう、そうする必要はありません。
自分を殺す必要はない。
自分はどんな人間で、何が得意で何が苦手なのか、自分のやりたいことでどうやって相手を幸せにできるのか。
その一点に絞って、人生の選択をすべきときでしょう。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!