料理は奥が深い。素材の違い、調理工程の違い、器具の違い、気温の違い、調味料の違い、火入れの違い……さまざまなわずかな差で、仕上がりは全く違うものになってしまいます。
「〆鯖」もまた、奥が深い料理のひとつでしょう。シメサバは多くの人が知るメジャーな料理でありながら、本当に美味しいしめ鯖には滅多に出会えません。それにはサバ、という全国で水揚げされる大衆魚が、魚体の大きさや、鮮度、水揚げ地、季節、脂のり、処理の仕方、扱い方によって、素材自体が大きく変化するから。というのが理由のひとつにあるかもしれません。
さらに、どのくらいの塩をして、どのくらいの時間、置くのか。その塩は、どんな塩が良いのか。酢につける際の、最適な時間や、酢の種類、製造メーカー。酢からあげたあとになじませる時間。その組み合わせは何通りあるでしょう?天文学的な数字になると思います。
その中から理想を見つけるのは、きわめて困難ですが、ここでは理論的に理想のシメサバを作る方法を考えてみました。
理想のしめ鯖、7つの条件
シメサバは、その〆具合によって、好みの分かれる料理でもあります。しめ鯖を愛する人はそれぞれ、理想像があるに違いありません。
強いて理想のしめ鯖を表現すると・・・
- 身が分厚く、脂が適度にのっており、ほどよく柔らかい。
- 中まで締まっておらず、表面1~2mmだけ白っぽい。断面の血合いがピンクで美しい。
- 塩加減が絶妙で、サバの味を引き立てている。
- サバの旨みがあふれ出て、ジューシー。
- 刺身でもなく、酢の物やマリネでもない絶妙な、酢かげん。
- 切り口が美しく、皮目が輝いている。よく見ると、細かな脂のサシが入っている。
- 生臭さがなく、かといって、酢の香りにも負けないサバの香りがある。
中には完全に酢が入ってる方が好みの方がおられると思います。ただ、ゴールを決めないと道筋を描けないので、上記7つを李楚洲のシメサバの条件とさせてください。
シメサバの美味しさを決定づける3大要因
美味しいしめ鯖には欠かせない3つの条件があります。
- 素材が良いこと。
- 塩分量と熟成期間が適切であること。
- 酢が均一で、なおかつ酢のものと化していないこと。
この条件を満たすために科学的に、理論的に、考えてみます。
1|素材そのものが良いこと
しめ鯖にする場合、さばの鮮度は言うまでもなく重要です。多少鮮度が落ちても〆サバにするなら大丈夫という料理人もいますが、保管次第では危険です。サバに含まれるうま味成分ヒスチジンは、死後、分解され毒性のあるヒスタミンとなるからです。
ヒスタミンを合成するのはモルガン菌という細菌ですが、これは25度前後でもっとも増殖し、0度付近では増殖しません。つまり、氷水に入れてキンキンに冷やしたものでないと「あたる」危険がある。
さらにしめ鯖にする場合、塩をして鯖の身肉タンパク質を固める必要があります。調理工程というのは必ず、それを行う理由があります。 「そうと決まってるから。」 ということは一流の料理人なら言いません。 「なぜなら・・・」 と答えを持っています。
鯖の鮮度による身質の変化
鯖は、身質の柔らかい魚です。
その理由の一つは水分が多く、鮮度が落ちやすいこと。鮮度が落ちやすい、とは具体的にどういうことかというと、たんぱく質分解酵素が多く含まれているので、腐るまでの工程が早くなるのです。
さらに、生物の筋肉はATP(アデノシン三リン酸)が分解されることで発生するエネルギーを使って動きますが、死ぬとそれまで呼吸によって補っていたエネルギーの循環システムが崩れ、ATPは分解され続けます。そして、ATPの枯渇により、筋源繊維であるミオシンとアクチンが強く結合して、アクトミオシンを生成し、筋肉は固くなる。
これが死後硬直です。
その後、分解はさらに進み、最近によってどんどん分解され、腐敗へと向かい、身質は柔らかくなります。すると、3枚に卸したとき、身割れする場合があります。
これには、サバ自体の鮮度や保管方法など素材による問題と、もうひとつ。包丁技術による問題があります。
鮮度と保管方法による問題
素材自体の問題については、上記の通り、鮮度が悪くなるほど身が柔らかくなるので身割れします。ただし、ATP分解が進み、死後硬直が溶けた後でも、氷塩水で保管すると身は固くしまったまま、柔らかくなりません。これは低温により、魚肉が一時的に硬直するからです。
しかしそれも、魚体の小さいサバなら半日が限度。1kg近いサイズなら1日近く持つかもしれませんが、鮮度が良いに越したことはない。
包丁技術による問題
実は、よく切れない包丁で捌いた場合や、包丁技術が未熟で魚を押さえつけながら捌いたりすると、たとえ鮮度が良くても身割れします。
極端な話ですが、よく切れない包丁だとノコギリのように何度もスライドさせながら卸さないと切れません。そうすると身は不必要に上下にゆすられたり、切れないがために押さえつける力も強くなり、余計な圧迫を与え、身割れします。
切り口は粗く、表面はボロボロです。サバに限りませんが、魚はよく切れる包丁で、出来る限り少ないストロークで卸すのが鉄則。
包丁次第で、舌触りまで変わります。
良いサバの条件
しめ鯖の味を左右するのは、やはり、素材です。素材が良くなければ、美味しいしめ鯖は作れません。当たり前のことですが、この良い素材を仕入れるのがとっても難しい。鮮度が良いのはもちろん、ある程度の脂のりも欠かせません。産地も重要です。
温かい海で水揚げされた鯖は、身質が柔らかく、寒い海で水揚げされた鯖は、締まっています。原魚で600g以上になると、脂のりは良くなりますが、それでも個体差はあります。
感動させる為の最低条件
料理人にとって、どのレベルのしめ鯖を作るのか。
刺身にするか、棒寿司にするかでも変わりますが、人を感動させるレベルのしめ鯖を作るなら、少なくとも下記の条件は満たさないといけないでしょう。
- 水揚げ後、半日以内のサバであること。
- 氷塩水で保管されたものであること。
- 原魚サイズが600g以上あること。
上記を満たしたうえで、その個体の鮮度と脂のりにより、塩の量と時間、酢漬けの時間を調整します。
2|塩分量と熟成期間が適切であること
良い素材のサバが手に入れば、あとは料理の腕がものをいいます。
もっともやっかいで、難解なのが、塩の量と時間、酢の種類と、漬ける時間。しかしその工程は、シンプルでたったの3STEPです。
なぜ酢に漬ける前に塩をするのか?
そもそも、酢に漬ける前に塩をしますが、それはなぜでしょうか。なぜ、酢を先に漬けてはいけないのか。
美味しさにはすべてに根拠があります。それを分かっていないと、工程を忘れてしまったり、飛ばしてしまうのが料理。そして理解していないと創意工夫や、目に見えない想いを込めることもできません。
酢につける前に塩をする理由は、たんぱく質を理解するとわかります。
酢とタンパク質
塩をする前に酢に漬けるとどうなるかというと、魚肉は柔らかくなります。魚肉中の筋肉組織内には、多くの酸性タンパク質分解酵素があり、それが作用するようです。
要は、酢に漬けることにより、タンパク質が酸性域になると、歯ごたえを形成する筋形質たんぱく質は分解されてしまうのです。だから、柔らかくなる。
この作用は、固い肉を柔らかくする際に効果的ですが、しめ鯖においては逆効果です。ただでさえ柔らかいサバの身は、ぼろぼろになってしまうのです。
塩をする理由
塩をすると、魚肉はどういう反応を起こすのか。
まず、浸透圧により、塩分濃度の薄いサバの魚肉中の水分が、塩分濃度の濃い表面へと移動します。これは、地球が丸いのと同様に自然の法則です。余計な水分が出ることで、魚肉は引き締まり、固くなります。よりミクロの視点で見ると、魚肉タンパク質の中の60%を占めるミオシンは凝集します。
こうなると、酢に漬けても分解されにくくなるのです。
塩をしていない(凝集していない)ミオシンは酸性域(pH4)以下で溶解することが分かっていますが、塩をして凝集した状態だと、不溶性になります。だから、酢に漬ける前には、十分に塩をして、ミオシンを凝集させておく必要があるんですね。
塩の適性量と適正時間
どのくらいの塩で、どのくらい漬けておくべきか?非常に参考になるデータが既にありますのでご紹介します。下記は、『酢漬け魚肉の調理』(下村道子氏)の論文を参考に魚肉中の塩分濃度を測ったものです。
食塩量と時間経過ごとに計った魚肉中の食塩濃度
食塩量(魚肉重量比) | 2時間後 | 6時間後 | 12時間後 | 20時間後 |
3% | 1.62 | 2.39 | 2.89 | 2.77 |
5% | 2.13 | 3 | 3.71 | 3.6 |
10% | 2.78 | 5.34 | 7 | 7.22 |
15% | 3 | 5.72 | 8.92 | 9.58 |
しめ鯖において好ましい食塩濃度は、3~4%とされます。なお、3~4%というと、かなり塩辛い印象ですが、塩で水分を抜いた後、酢で締めることにより塩分濃度は薄まります。結果、シメサバとして完成した時には、1.7%前後の塩分量になります。
どのような用途で食べるのか、どう仕上げるのか、その目的によりベストな食塩量と時間は変わりますが、このデータで分かることは、短時間で塩じめしたいときは、食塩量を多くし、じっくり熟成させながら塩じめする際には、食塩量を少なくするのが良い、ということ。
料理人の目的に沿った判断
ということは、目の前のサバを前にして、上記のデータを参考に判断しなくてはいけません。
もし、そのサバが鮮度抜群で、ゆっくり熟成させながら塩を浸透させていきたいなら、食塩量は重量の5%くらいにして12時間かけるのが良いかもしれません。
しかし、やや鮮度が落ちたサバなら、食塩量を多くして短時間で浸透させ、早々と酢に漬ける方がベターです。
また、脂ののったサバは、食塩が浸透するのを脂が拒むため、浸透時間は長くなるはずだし、刺身感覚に仕上げるのか、棒寿司にするのか等、目的によってまったく変わります。実際、真冬に北海道で水揚げされた、脂ののったサバは塩が入るまで通常の倍くらい時間がかかります。
そんなことをもろもろ考えながら、目の前のサバの食塩量と時間を判断するのが、料理人の仕事となります。
砂糖を使えば、急速に水分を抜き、塩を効率よく入れることができる
もうひとつ、こだわる料理人の中には、塩をする前に砂糖で〆る人が少なくありません。
砂糖で締めるのは、砂糖は塩よりも分子が大きく、余分な水分を急速に抜いてくれるからです。甘くなるか、というと、1時間程度ならまったく甘くなりません。砂糖も、塩と同じように浸透圧の作用で脱水効果がありますが、分子が大きいので、味は入りにくいんですね。
つまり、塩だけで余計な水分を抜けば、サバに塩味が入りすぎてしまいますが、砂糖+塩で水分を抜くと、塩分量を抑えた作り方ができるわけです。だから、より刺身感覚のシメサバを作りたい料理人は、塩をする前に砂糖でしめるのでしょう。
それと、これはあくまで感覚なのですが、塩だけでしめたときよりも、酢締めした後のサバの身の色がきれい気がします。酢に触れると魚肉中のたんぱく質が凝集して、白くなりますが、酢に触れている表面と中身のコントラストがはっきりするのです。
最初に余分な水分を抜いてから、塩の細かい分子でさらに脱水していくので、身の表面と中心に近い方と、筋肉の繊維に微妙な違いが生まれるのかもしれません。(※仮説です)
3|酢が均一で、なおかつ酢のものと化していないこと
さて、酢に漬ける目的は、3つあります。
- 殺菌
- 日持ちさせる
- 熟成
魚をはじめ、生物の筋肉はATP(アデノシン三リン酸)が分解されることで、それがイノシン酸といううま味成分に変化し、そして腐ります。難しいのは、鮮度や加工処理、温度で、早まりもすれば、遅くなる。魚種によっても大きく違います。
なお、サバに感じる独特の旨み成分は、タンパク質を構成するヒスチジンというアミノ酸です。しかしこのヒスチジン。先に述べたように、分解されると毒性のあるヒスタミンに変わってしまいます。
しかし、塩でたんぱく質を固めて、酢で殺菌すると腐敗スピードを極度に落とすことができるんです。
殺菌効果
ただし、一度、合成されてしまったヒスタミンは、加熱してもなくなりません。また、蓄積により味も匂いも変わらないので、毎年数十件、国内でも食中毒が起こっています。ヒスタミンは、ATP(アデノシン三リン酸)の分解工程で細菌(モルガン菌)によって合成されていくので、この細菌の増殖をとにかく抑えなくてはいけません。
重要なのは、水揚げ後、すぐに海氷水に入れ0度近い温度に冷やす事。モルガン菌は0度付近ではほとんど増殖しないからです。そして捌いてからは、できるだけ低い温度で管理するのは当然ですが、菌自体を殺すか、早々に加熱して、タンパク質を固めてしまう必要があります。
酢で〆ると殺菌できるだけでなく、ヒスタミンの増殖を止めることができるので長持ちするのです。
酢〆の真骨頂
酢で〆る本来の目的は、古くは腐敗を防ぐことが目的だったでしょう。ただ、これだけ流通や保管方法の発達した現代においては、それだけに留まりません。腐敗を防ぐことが出来れば、熟成が可能になります。
熟成と腐敗は、考えてみれば、紙一重の状態です。人にとって好ましい状態が熟成、好ましくない状態が腐敗。そう言えるかもしれません。
酢〆することにより、刺身にはないうま味成分が出て来るだけでなく、脂の乗ったサバなら酢との相乗効果でよりさっぱりとバランスよく、味わえます。
熟成によるうま味成分とは?
熟成すると、鮮度の良い刺身にはないうま味成分が生まれます。その正体は、筋肉のエネルギー分解によって生成されるイノシン酸。生物の筋肉はATP(アデノシン三リン酸)が分解されることで発生するエネルギーを使って動きます。
しかし死ぬと、それまで呼吸によって補っていたエネルギーの循環システムが崩れ、ATPは分解され続けます。その工程で生成される成分が、イノシン酸。要は、ヒスチジンを生成する最近の増殖を止めながら、熟成させるのが酢〆する第3の目的なのです。
酢につける適正時間はあるのか?
さて、シメサバのレシピを見ると、料理人により酢のつけ時間がまったく違います。20分という人もいれば、2時間という人もいる。皆さん、「好み」で片づけてしまいがちですね。
ここでは、冒頭で美味しいシメサバの条件を定義しました。
刺身でもなく、かといって、酢の物やマリネでもない、シメサバという領域。
シメサバという料理の独自性をとらえたとき、ここを目指すべきだろうと思うのです。
締める時間が長すぎれば、酢の物化してしまうし、短ければ刺身になってしまう。その絶妙な漬け時間はいったい、どのくらいの長さなのでしょう?
答えは、サバの表面が1~2mmほど白くなったころではないかと考えています。1mmでは刺身に近すぎるし、3mmを超えてくると、酢が入りすぎた印象になります。しかし、時間は測れません。魚体の大きさにより、酢の種類と、単純に酢だけに漬けるかにより大幅に変わるからです。
感覚的には脂のりがイマイチで魚体が小ぶりであれば20分程度、脂がのっていて、魚体が大きい場合は1時間程度ではないかと思います。
3種の酢で官能テストをしてみる
〆サバを作る場合、多くのレシピでは「米酢」が推奨されてるようです。
なぜ、穀物酢ではないのでしょうか?
穀物酢と、米酢の違いは、原料です。穀物酢は、米・小麦・酒粕・コーンなどが原料で、香りがさっぱりとしており、米酢は穀物酢と比べるとまろやかで、ふくよかな香りがあります。
黒酢は、米や玄米、大麦など、主原料は様々ですが、1~3年かけて醸造されます。
通常の酢なら1~4か月で仕上がるところ、ワインのように熟成させることによって、原料に多く含まれるアミノ酸が発酵・熟成過程で黒くさせるのです。そのため、深いコク、うま味が生まれます。
官能テスト
どの酢がベストなのか?これは自分の舌で確かめるしかありません。実際に、3種の酢、穀物酢、米酢、黒酢(米原料)で、しめ鯖を作って、実験しました。
サバは、脂の乗った冬さばで、原魚800~1kgくらいの大型サイズ。3枚に卸し、15%くらいの塩をかぶせ、2時間おき、軽く洗って、それぞれの酢に1時間漬けました。その後、冷蔵庫で半日寝かせたものを官能テストします。
官能テスト結果
結論として、いちばん美味しいと感じたのは、黒酢でした。
次に米酢。
次いで、穀物酢。
ただし、黒酢は味わいこそ良いが、外観はやや表面が黒ずむため、美しくありません。
〆サバと酢
〆サバの場合、酢の香り、特徴がそのまま鯖に反映されます。官能テストの結果、味わい的に美味しいのは黒酢ですが、バランスが良いと感じたのは米酢でした。
黒酢のしめ鯖は、より濃いうま味と、コクを感じますが、外観の悪さはいなめません。穀物酢は、決して悪くはないのですが、米酢に比べると、うま味やコクに劣り、酢のツンとした香りが強く、それゆえ酸味が立ちすぎる感があります。
米酢は、見た目もよいし、香りもまろやかで、飲み込んだ後の余韻に、うま味、コクを感じます。
メーカーによる香りの差とコクの違い
難しいな、と思うのは、塩でも醤油でもそうですが、どのメーカーの酢がいちばんしめ鯖に良いのかということです。
酢飯に良い米酢と、しめ鯖に良い米酢は、厳密には違うかもしれません。鯖寿司にする場合、同じメーカーの酢を使った方がバランスがとれそうな気はしますが、それも確かではない。メーカーにより、明らかに酢自体の香り、コクが違うんですよね。
本当に旨いしめ鯖を作ろうと思えば、まだまだ実験がたりません。