ピッツァと聞いて、あなたはどんな一枚を思い浮かべますか?
チーズがたっぷりのったアメリカンタイプのピザ? それとも、家庭で焼いた温かいホットピザ?
けれど、ピッツァという言葉の本来の意味をたどっていくと、やはりたどり着くのは、イタリア・ナポリの町で生まれた「マルゲリータ・ピッツァ」ではないでしょうか。
この一枚に使われているのは、驚くほどシンプルな三つの食材。
トマト、モッツァレラチーズ、バジル──たったそれだけ。それでも、その三色がまるで絵画のように美しく、生地の上に配置された瞬間、ただの料理が“ひとつの物語”に変わるのです。
僕は、かつて料理人として厨房に立ち、ソムリエとしてワインを選んでいました。今は大好きな「ピザとワインと魚」をテーマに完全に趣味でブログを書いています。
今回ご紹介するのは、まさに“ピッツァの原点”とも言える「マルゲリータ・ピッツァ」。その背景には、イタリア統一という歴史的な出来事や、ある王妃と職人の出会い、さらには国旗に象徴される誇りと愛があります。
ひとつの料理に宿る物語を知ることで、味わいは変わります。
いつもの一口が、ほんの少し、深くなる。僕がこのお伝えしたいのは“食の愉しみを通じて得られる人生の豊かさ”です。
よければこの記事で、マルゲリータ・ピッツァという一枚の背景にある物語を、一緒に旅してみませんか?
ナポリの街角で生まれた、誇り高き一枚

1889年、統一を果たしたばかりのイタリアに、一人の王妃がナポリを訪れました。
その名は、マルゲリータ・ディ・サヴォイア。
王妃の一行が滞在したその夏、彼女のもとに献上されたのが、後に“マルゲリータ・ピッツァ”と呼ばれる一枚です。
このピッツァを焼き上げたのは、ナポリの有名なピッツァ職人、ラファエレ・エスポジト。
彼は、王妃のために三種のピッツァを用意しました。なかでも彼女が最も気に入ったのが、赤いトマト、白いモッツァレラ、そして緑のバジルをのせたシンプルな一枚。
その色はまさに、イタリアの国旗そのものでした。
王妃の称賛を受けたこの一皿は、やがて“マルゲリータ”と名付けられ、イタリアの誇りとともに世界中へと広まっていくことになります。
けれどこれは、よくある“おいしい話”ではありません。
当時のイタリアは、ようやく統一を果たし、新しい国家としてのアイデンティティを模索していた時代。
そんな中、庶民の料理であったピッツァに、国の象徴である三色を重ね、王妃がそれを受け入れたという出来事は、極めて象徴的でした。
一枚のピッツァが、貴族と庶民を、王家とナポリを、そして食と国家をつないだ──。
それが、マルゲリータ・ピッツァの誕生なんですね。
三つの素材が奏でる、シンプルで奥深いハーモニー

マルゲリータ・ピッツァの魅力は、その“潔さ”にあります。
トッピングはたったの三つ。トマト、モッツァレラチーズ、そしてバジル。
装飾も技巧もない。けれど、この三つが揃った瞬間、ピッツァはただの「生地に具をのせたもの」から、“完成された料理”へと変貌します。
それは、余計なものを削ぎ落としたからこそ見える、素材本来の力。
一つひとつが役割を果たし、バランスを取り、全体としてひとつの味の物語を奏でているのです。
トマト — 太陽と大地の記憶
ナポリ近郊で育ったサン・マルツァーノ種のトマトは、甘みと酸味のバランスに優れ、果肉がしっかりしていて水分が少ないのが特徴。
シンプルに潰して塩と少量のオリーブオイルを加えただけで、まるで土の香りをそのまま閉じ込めたようなソースになります。
このトマトが、ピッツァ全体に「明るさ」と「温度」を与え、料理全体をぐっと前に押し出す存在になります。
モッツァレラ — 白いチーズの、豊かなミルク感
モッツァレラチーズと聞いて、スーパーで売られているパックを思い浮かべた方もいるかもしれません。
けれど、マルゲリータに使われるべきは、水牛の乳から作られる「モッツァレラ・ディ・ブーファラ」。一口噛めば、ミルクの濃厚さと爽やかさが同時に広がり、熱でとろけたその質感はまさに“絹のよう”。
このチーズがあることで、トマトの酸味が柔らかく包み込まれ、全体に丸みが生まれます。
バジル — 緑の葉が、香りという舞台装置に
最後にのせるのは、新鮮なバジルの葉。
たった一枚でも、焼き上がった瞬間に立ち上るその芳香は、マルゲリータの印象を決定づける存在です。
バジルはただの飾りではありません。
その香りがチーズのコクに軽やかさを与え、トマトの甘みにアクセントを添え、ピッツァをより立体的に仕上げてくれます。
素材は、いずれもイタリアという土地と気候の恵みから生まれたもの。
それを最小限の組み合わせで最大限に引き出す。それこそがマルゲリータの真髄なのです。
炎の芸術、薪窯が引き出すマルゲリータの真価

いくら上質な食材を揃えても、それをどう調理するかで、その一皿の命運は決まります。
マルゲリータ・ピッツァにおいて、それを支えるのが「薪窯(まきがま)」という、古くて新しい調理の舞台です。
ナポリの伝統的なピッツェリアでは、今もなお、樫やオリーブなどの薪を使い、400〜500℃の高温で一気に焼き上げます。
焼き時間は、わずか90秒前後。
その短い時間の中で、ピッツァは一気に膨らみ、香ばしい焼き色が生まれ、素材同士が絶妙に絡み合うのです。
この瞬発力こそが、マルゲリータを“ただのピザ”から“料理の芸術”へと昇華させます。
外はカリッと、中はふんわり──温度が織りなす生地の魔法
高温で焼き上げられた生地は、まず外側に薄いクラスト(皮)を形成し、その内側はもっちりとした気泡を含んだ柔らかさを保ちます。
まるでパンとパイの中間のような、絶妙な食感。
この食感が、トマトの瑞々しさ、モッツァレラのとろけ、バジルの香りと調和し、一口ごとに「食感と香りの層」を重ねてくれます。
焼き色は、味を語る言葉になる
職人たちは、焼きあがったピッツァの縁の焦げ目に注目します。
それはまるで“炎との対話の痕跡”。
黒すぎず、淡すぎず、まだら模様のような絶妙な焼き色がついていれば、内部の水分を閉じ込めたまま香ばしさを出せた証です。
この“焦げ”もまた、マルゲリータの味の一部。
香り、食感、そして見た目のすべてが、薪窯という舞台で初めて完成するのです。
家庭のオーブンでこの再現は難しいかもしれません。僕もいろいろ試しましたが、まず無理だと思っています。
けれど、知っておくことで、次に本格的なピッツァを食べたとき、あなたの五感はきっと鋭くなっているはず。
一見素朴な焼き色の裏に、職人の勘と経験が宿っている──それを感じ取れることも、また食の楽しみのひとつなのです。
現代に息づくマルゲリータの愉しみ方

マルゲリータ・ピッツァが王妃の舌を唸らせたあの時代から、すでに130年以上。
それでもなお、この一枚が愛され続けているのは、単に“伝統”という言葉では語り尽くせない、普遍的な魅力があるからです。
そして今、その魅力は、レストランの薪窯を飛び出し、私たちの日常へとやってきています。
高品質な冷凍ピッツァで、家庭の食卓にナポリを
最近では、本格的な冷凍マルゲリータが驚くほどの完成度で手に入るようになりました。
薪窯で焼いたピッツァをそのまま急速冷凍し、家庭で数分焼くだけで、外はカリッと、中はふんわり。
忙しい平日でも、週末のご褒美ディナーにも、気負わずナポリの味を楽しむことができます。
たとえば、「水牛モッツァレラ使用」「薪窯で焼き上げ済み」と書かれた冷凍ピッツァは、素材と焼きにこだわったものが多く、食べ比べる楽しみもあります。もちろん目の前で焼き上げてくれる香ばしい炭の香りを伴ったナポリピッツァには到底及びませんが、最近はコンビニでも驚くほど品質が高くなっています。
“あと一手間”で、味は劇的に変わる
冷凍ピッツァといえど、焼き方ひとつで味は見違えます。
以下のちょっとした工夫で、より香ばしく、より感動的に仕上がるでしょう。
- オーブンをしっかり予熱し、高温で一気に焼く
- 焼き上がりに追いバジルをちぎってのせる
- オリーブオイルをひとまわし、香りに立体感を出す
- 少しだけパルミジャーノを削って振りかける(塩気と香りが増す)
ほんのひと手間ですが、これだけで“冷凍ピザ”が“お店の味”にぐっと近づきます。
ワインと合わせて、小さな“イタリアの晩餐”を
そして、忘れてはならないのがワインとの相性。
マルゲリータのシンプルな味わいには、あまり重くない、酸が穏やかな赤ワインがぴったりです。
たとえば──
- キャンティ(トスカーナの名産):トマトの酸味とよく合い、食事全体が軽やかにまとまる
- ランブルスコ(微発泡の赤):炭酸が脂を流し、チーズとのバランスを整える
- ヴェルメンティーノ(白):チーズの塩気とバジルの香りに寄り添う、爽やかな白ワイン
グラスを片手に、香ばしい生地を頬張る瞬間──。
それだけで、自宅のテーブルが小さなトラットリアに変わる魔法を、きっと感じていただけるはずです。
一枚のピッツァに宿る、誇りと物語

マルゲリータ・ピッツァは、ただの「トマトとチーズとバジルのピザ」ではありません。
そこには、歴史と政治、文化と職人の誇り、そして何よりも“人の心”が宿っています。
イタリアがひとつの国として生まれ変わろうとしていた時代に、王妃の前で焼かれた一枚のピッツァ。
それは、ナポリの街角で生きる人々の手から生まれ、やがて国の象徴へと昇華していった、庶民の誇りの象徴でした。
そして今、それは冷凍食品となり、家庭の食卓にも届き、まるで当たり前のように、日々の食事に溶け込んでいます。
けれど、それを「当たり前」で終わらせるか、「文化」として味わうかは、私たちの“知っているかどうか”で変わります。
素材の背景を知ることで、トマトの酸味はより深くなり、
職人の技術を知ることで、生地の香ばしさはもっと香るようになり、
そして歴史を知ることで、その一口が「食べる」という行為を超えて、旅や物語に変わっていくのです。
このブログではこれからも、ピッツァや魚、そしてワインにまつわる物語を掘り下げながら、
「食べることの背景」にそっと寄り添うような記事を綴っていきたいと思います。
マルゲリータ・ピッツァ──
その赤・白・緑の三色に、あなたは何を感じるでしょうか。
次にその一枚を口にする時、ふとこの物語を思い出していただけたら嬉しいです。