包丁を整えるという仕事|『天皇の料理番』に学んだ“心の込め方”

ある言葉が、胸の奥深くに突き刺さったまま、何年経っても抜けることがありません。

正確には、その一字一句を覚えているわけではないのです。でも、その言葉の持つ真意と重み、そしてそれによって受けた深い感動は、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってきます。それは「絶対に忘れてはいけない」と心に刻み込まれた、人生を変える言葉でした。

その言葉に出会ったのは、TBSのテレビドラマ『天皇の料理番』の中でのことでした。Amazon Primeで視聴できたその作品を、私は何度も繰り返し見返しました。特にそのシーンは、一度見ただけでは理解しきれない深い意味が込められていたからです。

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『天皇の料理番』が描く、料理人の魂

『天皇の料理番』は、明治から昭和にかけて実在した料理人・秋山徳蔵の生涯を描いた物語です。何をやっても続かず、周囲からクズ扱いされてきた主人公が、料理という運命的な出会いを通じて「日本一のコックになる」という壮大な夢を抱きます。そして、多くの人々に支えられながら、その夢を現実のものにしていく姿が描かれています。

物語の後半では、ついに天皇の料理番という頂点にたどり着いた彼が、激動の昭和戦乱期という困難な時代を、国のために生き抜く姿が描かれます。その描写は実に見ごたえがあり、特に主人公を支え続けた妻の生き方には、涙せずにはいられませんでした。

この作品は、レストランで働く人だけでなく、サービス業に従事するすべての方に見ていただきたいと心から思える、そんな普遍的なメッセージが込められています。

忘れえぬシーンに込められた真理

さて、その忘れることのできないシーンは、料理を一刻も早く覚えて一人前になりたいと焦る主人公が、ついにシェフの秘蔵のレシピを盗んでしまったときのことでした。

毎日毎日、皿洗いばかりをさせられる日々。料理を教えてもらえない焦燥感。そんな中で魔が差した主人公は、シェフのレシピノートを手にします。しかし、そのレシピを目にした瞬間、彼はそれがどれほど大切で貴重なものなのかを理解しました。良心の呵責に苦しみながら、どうやってシェフにレシピを返そうかと右往左往する主人公。

ついに覚悟を決めて白状する機会が訪れました。クビになることを覚悟して臨んだその時、シェフが口にした言葉こそが、私の人生観を大きく変えることになったのです。

シェフは、なぜ料理を教えないのか、その真意を静かに、しかし強い信念を込めて語りました。

小さな失敗が、大きな失敗になることもある。

そういうのは真心がない。料理は「まごころ」だ。

技術は追い付かないこともある。

素材は望み通りにいかないこともある。

でも、「まごころ」はてめえ次第でいつでも最高のものを出すことが出来る。

爪を短くすること。

鍋を丁寧に洗うこと。

包丁を整えること。

そういうことは、確実にできる。それさえできないやつは、まともな料理が作れるとは俺は思わない。

教えないのは、覚えないからだ。

親切に教えてもらったものより、てめえで必死になって盗んだものの方が人は大事にする。

だから、教えない。

真のプロフェッショナルが持つべき心構え

このセリフは、料理という世界を超えて、すべての仕事に通じる普遍的な真理を語っています。

最高のパフォーマンスを発揮するために準備が欠かせないということは、古今東西、様々な書物や成功者の言葉として語り継がれてきました。しかし、その理由を、ここまで深く、心の奥底まで落とし込むには、適切な時期と、自分の魂に響く言葉との出会いが必要です。

私にとって、この『天皇の料理番』のセリフがまさにそれでした。

「まごころ」という言葉の重み。それは、技術や才能に頼ることなく、自分自身の意志と努力だけで必ず実現できるものです。爪を短く切ること、道具を丁寧に手入れすること、基本を疎かにしないこと。これらは誰にでもできることでありながら、実は最も難しく、最も大切なことなのです。

「親切に教えること」の功罪

ドラマの舞台となった明治・大正時代と現代では、働く環境は大きく異なります。当時の料理人の社会的地位は低く、「ろくでもない人間が就く職業」というレッテルを貼られていました。職場は極めて封建的で、暴力が日常茶飯事の、過酷な世界でした。

現代においては、「教えない」ことは効率が悪く、若い人材の育成にとってマイナスになるでしょう。情報があふれ、効率性が重視される今の時代に、昔ながらの「技は盗むもの」という考え方をそのまま適用することはできません。

しかし、ここで考えてみていただきたいのです。

僕たちは、簡単に手に入ったものを、果たして大切にしているでしょうか?すぐに教えてもらえることに対して、それ以上のことを考え、探求し、深めようとしているでしょうか?

ドラマのセリフにあるように、人は親切に教えてもらったことよりも、自分が必死になって獲得したものの方を大事にする傾向があります。これは人間の心理として、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

現代に求められるのは、「教えない」ことではなく、教えられたことを「自分で盗んだもの」と同じくらい大切にできる心構えを持つことなのかもしれません。

包丁に宿る料理人の魂

「包丁を見ると、仕事ができるかわかる。」

これは、僕がレストラン時代を経て水産会社に勤めていた頃、代表がよく口にしていた言葉です。

その水産会社では、一日に数百本の魚を捌くこともありました。効率性を考えれば、機械を使って10倍の生産性を上げることも可能でしたが、代表は頑なに包丁での手作業にこだわり続けました。

なぜか?

包丁で卸した魚は、機械では決して実現できない滑らかな切り口を持ちます。個体差のある魚の形状に応じて、一尾一尾に最適な処理を施すことができます。必要以上に水を使わないため、魚本来の品質を保つことができます。

しかし何より、代表は「包丁を大事にすることが、人の生き方につながる」と考えていたのです。

道具への愛情が映し出す職人の真価

包丁を整える、と言葉で言うのは簡単です。しかし、用途に応じた様々な包丁を、その目的に最適な状態に研ぎ上げるということを突き詰めて考えると、そこには底の見えないほどの深い世界が広がっています。

例えば、出刃包丁。これは魚の太い骨を断つために重く、厚みのある刃を持つように設計されています。しかし同じ出刃包丁でも、切っ先と刃元では役割が異なります。切っ先の方は魚の身をおろすためにシャープな設計になっているのです。

この構造を深く理解した上で、捌く魚の種類や大きさ、その日の仕事内容に応じて、最適な研ぎ方を選択する。そこには、長年の経験と知識、そして何より道具への深い愛情が必要とされます。

だからこそ、水産会社の代表は確信を持って言っていました。

「包丁を見ると、仕事ができるかわかる。」

すべての仕事に通じる普遍的な教え

『天皇の料理番』から学んだこの教えは、料理の世界だけにとどまりません。どのような職業であっても、どのような立場であっても、私たちが持つべき心構えを示しています。

まごころは、技術や才能に関係なく、自分の意志で最高のものを出すことができる唯一のもの。

基本への徹底は、誰にでもできることだからこそ、それを疎かにする人はプロフェッショナルにはなれない。

道具への愛情は、その人の仕事への姿勢と人格を映し出す鏡である。

これらの教えは、時代が変わっても、技術が進歩しても、決して色あせることのない普遍的な真理なのです。

僕は今でも、大切な決断を迫られたとき、困難な状況に直面したとき、あのシェフの言葉を思い出します。そして自分に問いかけます。

「今、私は最高のまごころを注いでいるだろうか?」

その答えが「はい」と言えるとき、きっと最良の結果が待っているはずです。

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