「美味しい」とはとても抽象的で、感情的な表現です。
とはいえ「美味しさ」には科学的な根拠があることも事実。ここでは「美味しさ」を感情と科学で検証します。
美味しさの構造
「美味しさ」を感じるのには、段階があるように思います。マズローの欲求5段階説はご存知でしょうか?
マズローによると、人の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲するといいます。
たとえば一番低層の欲求が生きていくための本能的な欲求で、食べたい、寝たいなどの「生理的欲求」。これが満たされると、今度は安心安全な暮らしがしたいという「安全欲求」へと階層が上がり、次は「社会的欲求」。友だちが欲しい、社会につながりたい、帰属したいなどの欲求ですね。
それが満たされると、人に認められたい、尊敬されたいという「尊厳欲求」が芽生え、最高層の欲求は「自己実現欲求」です。自分で創造したい、という欲求ですね。
「美味しさ」を感じるための段階もこの欲求5段階説に呼応しているように思うのです。3日何も食べなくて、やっとありつけた麦飯の美味しさに感動したお客様は、毎日食にありつける安心安全な環境では、「旨え」とまで思わなかったでしょう。
また、彼氏といったフレンチでサービスに感動した友人も、共に食事をする相手との関係もなければ、そこまで楽しめなかったかもしれない。
料理+環境+α=感動するほどの旨さ!
レストランで美味しい料理を提供するのは当たり前です。私はここに、環境+αを加えたい。
環境というのは、まずお客様の段階です。美味しさを感じる段階としては、安心安全に食べれるというところからスタートでしょう。私はここに、いつまでも記憶に残り、感動するほどの旨さを環境+αによって演出したい。「美味しい」じゃなく「旨い!」じゃないとだめ。経験的に「美味しかったです」というのはお世辞。「いやあ旨かった!」「感動したよ」というのが本当だと思います。
多くの場合、+アルファは「感情」でしょう。
感情が美味しさに影響を与える瞬間
私にははっきりと残っている思い出の味があります。小学生の頃、よく山登りに連れていってもらいました。いくつかコースがあるのですが、子供の足で2時間ほどで山頂にたどり着きます。何が楽しみって、山頂で食べるおにぎりです。中でも私は梅しそを乾燥させて粉末にしたものをご飯に混ぜたおにぎりが好きでした。米は少しべちゃっとするくらい柔らかい方が良かった。それを冷たい麦茶で流し込む美味しさといったら!
これまでの人生で最も美味しかった記憶は?と聞かれたら、そう答えます。多くのレストランを回ってきましたが、これに勝る美味しい記憶はありません。
そういえば、イタリア料理店で勤めていた時の常連様が言っていました。
「禅寺に修行にいったことがあって、3日間何も食べさせてもらえなかった。でも、3日後にだしてくれた麦飯の旨えこと!」
また、私の友人は、
「昔つき合っていた彼氏と老舗のフレンチにいったんだけど、そこでサービスしてくれた人が面白くて!食べた料理よりそのサービスに感動しちゃった。だからすごい記憶に残ってる。」
一度、街頭インタビューしてみたいですね、これまでの人生でいちばん美味しかったのは何ですか?と。
科学的に美味しさを考えてみる
環境や感情が美味しさに及ぼす影響が大きいと確信していますが、もう少し科学的見地から考えるとどうなるのか?人が単純に、口に入れたものを美味しいと感じるには、どういう条件が満たされている必要があるのか?
そんなことを考えていました。目に見えない感情的なものではなく、根拠のはっきりした美味しさの追求ですね。料理をして、お客様にご提供する以上、それが人の感覚や経験、カンに頼っていては、再現性がありません。料理を作る人が変われば味が変わる、というのでは、100年持続しない。
再現性を高める
その観点でいくと、料理は科学、と捉えることが重要です。目的は、再現性を限りなく高めるため。
白状すると、私は感覚で生きてきましたし、料理もカンに頼ることが多かった。でも、勉強すればするほど、事業を持続しようとすればするほど、それではだめだと気づきます。京都にある日本料理店、菊乃井の村田吉弘さんは、こういっています。
「勘とか経験に頼る料理はやめていきたい」
たとえ3年かけてようやく導き出した、ある素材の適正な加熱温度も、人に伝えるそうです。その方が、料理界全体のためになると。
多くの専門店が、自店のレシピを公開しないだけに、村田さんの姿勢は素晴らしいと思います。
栄養素を摂取できた時の快感
さて、人が感じる美味しさの正体は何なのか?
ずばり、栄養素を摂取できた時の快感です。栄養素とは、エネルギーとしての炭水化物、身体を構成するためのたんぱく質。このふたつです。
ただ、このふたつには、味がありません。炭水化物を分解する「糖」と、たんぱく質を分解する「アミノ酸」に、人が強烈に好む味があるのです。
味の構成要素
味の構成要素は主に5つあると言われています。
「甘味」「酸味」「渋味」「塩味」「旨味」
炭水化物を分解する糖は、もちろん甘味。たんぱく質を分解するアミノ酸は、主に旨味になります。
そう考えると、確かにそう。酸味だけ、渋味だけ、塩味だけのものは、それだけであまり食べれません。甘味、旨味と比較すると補完的な味の要素に思えます。
ただ、アミノ酸には、旨味を感じる旨味アミノ酸だけでなく、甘味アミノ酸、苦味アミノ酸、渋みアミノ酸もあります。料理の完成度は、全体を通して、これらのバランスが優れているかどうかがカギです。
素材の好ましい風味をどう引き出すか?
面白いことに、「旨味」というのは、ひとつの素材に含まれる旨味だけで味わうよりも、他の素材の持つ旨味を組み合わせた時の方が数倍も強く感じることがわかっています。
たとえば、日本料理における昆布とカツオ出汁。昆布に含まれる旨み成分、グルタミン酸と、魚や肉など動物が持つ旨み成分、イノシン酸が豊富に含まれたカツオ節を合わせることによって、旨味自体が倍増するのです。
料理をする目的の一つは、ここにあるのではないでしょうか。
素材の組み合わせによって、単体では冴えなかった素材を光らせる。そして、調理することで、素材本来が持つ好ましい風味を最大限、引き出してくる。その無限の可能性から、これだ!と思うものを状況に応じて選択できることが料理の技術なのだと思うのです。
それには、何を、どのように、どうやって、どんなタイミングで、どのくらいの時間をかければいいかを、具体的に知っているかが大切です。だから、経験や感覚やカンよりもむしろ、化学的に組み立てた方が理にかなっている。
うま味の相乗効果で、おいしさ倍増
味の5大要素の中でも「旨味」をどう引き出すかが、素材との対話の中で大事です。
「旨味」は、ひとつの素材に含まれる旨味だけで味わうよりも、他の素材の持つ旨味を組み合わせた時の方が数倍も強く感じることがわかっているからです。その旨みの正体は「アミノ酸」。人が強烈に好む味のひとつです。
ただ、ひと口にアミノ酸といっても、自然界に存在するのは500種。料理において大事なのは、次の3つです。
グルタミン酸とグアニル酸、そしてイノシン酸。
この3つのアミノ酸を含む素材を食べると、旨みを感じるということです。
3つのアミノ酸と、相乗効果
3つのアミノ酸はそれぞれ、含まれている素材が違います。
グルタミン酸は、昆布、トマト、緑茶、ブロッコリー、白菜、チーズ、乳、アスパラ等があります。一般的には野菜のような植物系の食物に。
グアニル酸は、干し椎茸やキノコに。
イノシン酸は、鰹節、煮干し、さば、鶏肉、熟成肉、肉等があります。一般的には、魚肉や畜肉系に。
旨みの相乗効果は、同一のアミノ酸をとってもだめで、違うアミノ酸と掛け合わせることで倍増します。グルタミン酸×グアニル酸、グアニル酸×イノシン酸、イノシン酸×グルタミン酸、というように。
パワーバランスは1対1である
最も、旨みを強く感じるバランスは、1:1。
たとえば、昆布とかつおの合わせだしは、グルタミン酸を含む昆布と、イノシン酸を含む鰹節の相乗効果を得た典型例です。
その割合は、1対1がベスト、ということです。
ただ、気をつけなければいけないのは、単純に、昆布と、鰹節の重量を1:1にすればいいというのではなく、その昆布に含まれるグルタミン酸の量と、その鰹節に含まれるイノシン酸の量が1対1となったとき最高の相乗効果になります。
それを正確に計るのは研究施設でない限り実際には困難ですから、感覚が頼りです。それが料理人の腕ともいえるでしょう。