ピッツァマルゲリータはこうして生まれた
それは、ナポリに住むピッツァ職人のお話。
彼の名は、ラファエレ・エスポジト。いまも現存する、老舗ピッツェリア「ブランディ」のピッツァ職人でした。時は1889年。イタリア国家は統一されたばかり。
国王とその王妃マルゲリータは、ナポリの離宮を訪れていました。ローマが京都なら、ナポリは奈良。古い歴史を持ちながら、風光明媚で素朴なナポリではその時、人々を熱狂させてやまない、一代ブームが巻き起こっていました。
ピッツァイオーラ(ピザ職人)
「そのピッツァなるものは、そんなに素晴らしいのですか?」王妃は聞きます。
「カエサルはエジプトを征服し、トルコまでも領地を拡大したとき、言いました。Veni,vidi,vici(来た、見た、勝った!)。まずは、おそれ多くも、百聞は一見にしかず。試されてみては?」
そうして招かれたのが、エスポジト氏でした。彼は当時、ナポリ一のピッツァイオーラ(ピザ職人)と言われた人物。その腕前と、茶目っ気たっぷりな彼の人柄は、ナポリ中で評判でした。
一世一代の晴れ舞台。国王夫妻に献上するなんて、ピッツァ職人としてこんな名誉なことはありません。彼は考えます。よし、王妃を感動させてやろう!
彼は張り切って、ピザ生地をこねました。そのとき3種類のピッツァを彼は作りましたが、そのうちのひとつに、トマトの赤、バジルの緑、モッツァレラチーズの白でイタリア国旗をモチーフにしたものがありました。
それが、マルゲリータ
「このピッツァの名前はなんですか?」王妃が聞きます。
エスポジト氏は、にっこり微笑み、答えました。
「はい、マルゲリータでございます。」
国王夫妻は大喜び。
イタリア国が統一されたばかりとあって、マルゲリータ王妃は、いたく感激したそうです。
ピッツァ・マルゲリータはそれから、ナポリの名物料理として確立されただけでなく、貴族からも愛される料理になりました。
HICOでは、ベーシックなマルゲリータを提供するつもりはありません。提供しているお店があまりにも多すぎるからです。ピッツァのお店とは一線を画さなくてはいけないと思っています。HICOは完全予約制で、溶岩焼とカルツォーネのお店。マルゲリータを軽々しく提供してしまったら、築こうとしているブランドが崩れてしまいます。
でも、、、自分が食べるならマルゲリータは外せないんですよね。ピッツェリア(ナポリピッツァ専門店)にいったら必ず注文します。大好きなのです。
HICO独自のマルゲリータを考案していきます。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!