今やイタリアワインの大御所となった感のある、サッシカイア。このワインは、ある男が、まったく何もないところから底なしの情熱で夢を追い続け、名を馳せました。
5大シャトーのひとつともどこか似た雰囲気があるのは、この情熱ゆえだと思うのですが、どうでしょうか・・・?
パズルのピース
人は、生きているうちに何度か、運命的な出会いを経験するといいます。
一見、なんの関連性もなく、脈絡なく、散りばめられたパズルのピースが、ひとつひとつぴったりと重なっていくように、それまでに巡り合ってきた一切の出来事が、そのためにあったのだと思える瞬間。
マリオ・インチーザ・デッラ・ロケッタ侯爵が、彼女に出会ったのは、イタリア・トスカーナ州にある、ボルゲリという田舎町でした。昔からある農園が広がり、海に近いので、小高い丘に立てば、ここちよい風を受けながら、きっと何世紀も変わっていないだろう風景を、一望できます。彼女はこの地方に何百年も前から名を馳せる名家の娘で、名前をクラリスといいました。
マリオ侯爵は、クラリスの瞳のおくをじっと見つめて、言います。
「昔から知っているような気がするんだ。」
マリオ侯爵の夢
来る日も来る日も、二人はボルゲリののどかな田園風景の中を歩きながら、いろいろな話をしました。どんな環境で育ち、どんな暮らしをして、誰を愛して、失って、生きてきたのか。会話を重ねる度に、それまで積み重ねてきた30年近い年月の出来事は、喜びも悲しみもすべて彼女に会うためのものだったのだと、彼には思われます。
ボルドーワインを愛してやまないのだと話した時には、心はもう決まっていました。ボルゲリの土地は、その気候風土がボルドーによく似ていたのです。クラリスに出会ったのと同様、これは、偶然ではない。
マリオ侯爵は、イタリアワインは野蛮すぎる、と感じていました。薄っぺらい果実味に、過度な酸味。それに比べ、フランス・ボルドーには華やかで、洗練された、力強いワインがおおく存在する。特に一級シャトーの揺るぎないその個性は、彼をすっかり虜にしていたのです。ラフィットの華やかさ、マルゴーの繊細さ、ラトゥールの力強さ、オー・ブリオンのバランス感覚。(ちなみにこの時はまだ、ムートンは一級に昇格していません。)
いつしか彼の胸には、自らの手で、一級シャトーを超えるほどのワインを作りたいという思いが、芽生えていました。
「いま決めたよ、クラリス。君と出会ってはじめて私は自分の本当にしたいことがわかった。いや、ずっと、胸にはあったのだ。それが夢だと気づいたのは、君のおかげだ。」
惚れこんだ農園
二人がよく散歩したのは、サン・グイドという農園です。
海からのあたたかい風が木々をゆらし、畑はゆるやかな傾斜で、日差しがやさしくあたる。とても小石の多い土地で、クラリスは時折つまずきそうになりましたが、その手はいつも、マリオ侯爵が支えていました。彼はそこで感じる、風や、日差しや、その手のぬくもりを、愛したのです。
「ここで、ワインを作りたい。必ずボルドーの一級シャトーにも負けないものを作ってみせる。クラリス、それを一緒に飲んでくれないか?」
それが、彼なりのプロポーズでした。彼女は、その夢の先を私にも見せてほしいと、にっこり微笑みます。
常識外れ
マリオ・インチーザ・ロケッタ侯爵がほれ込んだ農園サン・グイドには、オリーブなどブドウ以外の作物が植わっていました。それらを引き抜き、ブドウを植えたのは1944年のことです。
折しも第二次世界大戦のまっ最中。
彼の愛する、ボルドーワインは飲みたくても飲めないほどの状況でしたが、人脈を駆使し、やっとの思いでシャトー・ラフィット・ロートシルトから苗木を譲り受けます。
ぶどう品種は、カベルネ・ソーヴィニヨン。
これは当時のイタリアワインの常識からすれば、斬新なことでした。ボルゲリという、ワイン産地としては無名の地で、ましてぶどうさえ植わっていなかったところへ、古くからイタリアの地で育てられてきた品種ではなく、フランス原産の、外来品種を持ちこんだのです。
また、イタリアをはじめヨーロッパの伝統的なワイン生産国では、その品質や、出自を保証するワインの法律が国で定められており、その規定からはずれると、日常消費用のテーブルワインとしてしか販売できません。
彼のやっていることは、常識外れでした。
信念
近隣の同業者や土地の人々も、はじめは「貴族の気まぐれ」といってマリオ侯爵を嘲笑したそうです。金持ちはすぐに無駄なことをしたがると。しかし彼は一切、気にしませんでした。法律や古い因習や人々の噂、常識など、どうでも良いのです。5大シャトーを凌ぐワインを、ボルゲリの地で作る。その信念は揺るぎません。
そして、彼には自信がありました。
実際、ボルゲリの土地はぶどう栽培に適していたのです。雨もすくなく、海沿いの土地なので、風はたえず吹き、病害の心配もあまりありません。ぶどうは日中のあたたかい時に糖分を生成しますが、夜にかけてゆるやかに気温が下がってしまうと、徐々にその糖分も減少してしまいます。それがボルゲリの夜は一気に冷え込むので、糖分がしっかり蓄えられるのでした。
土壌には小石が多いため、水はけもよく、ぶどうは必要以上に水分を吸収しません。根は栄養分を求めて深く、その手を伸ばし、地下に蓄えられたミネラル豊富な地下水を吸い込んできます。
樹齢が高くなるほど、滋味溢れるワインになるだろうと彼は考えていました。
可能性を信じる
しかし出来上がったワインを飲んだマリオ侯爵は、愕然としました。あまりにも荒々しいタンニンと、繊細さに欠ける果実味。力強さはありましたが、野蛮であることは隠しようもありません。彼が思い描いていた貴族的な気品が、感じられないのです。
「クラリス、私はおおきな思い違いをしているだろうか?」
そう肩を落とす彼を見て、クラリスは言いました。
「まだ、生まれたての子供なのよ。ニコロを見て。私たちが瞬きするたびに成長してる。この子は可能性をたくさん秘めてるわ。きっと、ワインも、一緒じゃなかしら。」
その頃、ふたりの間にはニコロと名付けられた男の子が誕生していました。マリオ侯爵は、無心に眠るわが子をみて、微笑みます。
たしかにいま、わが子の人生を憂えるのは間違っている。ワインも生き物だ。ラトゥールにしても、若いころは眉をしかめるほど、近寄りがたく、飲みづらい。
それが年を重ねるにつれて、うっとりするほどの力強さと、しなやかさを備えた、凛々しく、気品ある味わいに変化してゆきます。
そう考えると、このワインは、荒々しく野蛮であっても、力強さがある。可能性は底知れない。
もうひとつの夢
彼は20年後、息子ニコロとグラスを交わす日を夢想しました。
そのころには、恋人のひとりやふたりいるだろう。
自分に、似てくるのだろうか。馬の乗り方は私が教えてやらねばならない。チェスは教えないでおこう。勝ち方は自分で見つけていくしかない。ワイン造りは手伝わせる。興味を持とうが持つまいが、ワインには私の人生が詰まっている。それがわかるのは、もっと、ずっと先のことかもしれない。それでもいい。私が追い続けた夢を彼にも、見せてやりたい。
「クラリス、またひとつ、夢が増えたよ。」
暖炉の火がちろちろと燃える静かで、穏やかな晩。マリオ侯爵の尽きることなき情熱は、さらにワインへと注がれることになります。
革命
5大シャトーに負けないワインを作る。マリオ・インチーザ・ロケッタ侯爵は、その可能性を信じ、ひたすら情熱を傾けました。
そして、1968年。ついに革命が、起こります。
マリオ侯爵がワインを作り始めて二十数年、それはごく近しい者だけのプライベートなワインでしたが、その素晴らしさにある人物が感動するのです。
それは妻クラリスの妹が嫁いだ、トスカーナで600年以上の歴史を誇る酒商、アンティノリ家の子息ピエロ。マリオ侯爵の甥にあたる人物ですが、彼が販売を強くすすめたのでした。
「こんなに素晴らしいイタリアワインは飲んだことない。」
マリオ侯爵のワインは、二十数年を経て、作り始めた当初とは比べ物にならないほど洗練されていたのです。
色濃く、やや黒みがかった深いルビー。カシスやブラックベリーなどの凝縮した香りに、ヴァニラのニュアンス。味わいは、まろやかで、複雑。タンニンのきめの細かさ、エレガントさはボルドーの一級シャトーにも比肩しうる・・・。
「それに、こんなに、湧きあがるほどの情熱を感じさせるワインは、世界中探しても見つかりませんよ!」
酒商ピエロ・アンティノリは興奮して言うのでした。
躍進
そうしてピエロ・アンティノリによって販売されたワインは、瞬く間に世界中へと広まり、なんとボルドー評議会より、プルミエ・クリュ参入という名誉ある評価を受けたのです。
それが、サッシカイア。マリオ侯爵の人生が詰まったワインです。
「サッシカイア」とは、小石の多い土地、というような意味ですが、それは彼とクラリスが夢を語り合い、ほれ込んだ農園サン・グイドを象徴する言葉です。ワイン産地としては無名で、ぶどうさえも植わっていなかった、未開拓の土地。そこでひたすら情熱を傾け、夢と人生を詰め込んできた二十数年間でした。
それからというもの、世界のさまざまな舞台で、サッシカイアはその名をとどろかせます。
そして、5大シャトーを含めた国際的なテイスティングの会において。マリオ侯爵の目標は達成されます。サッシカイアは、5大シャトーを押しのけトップに輝き、その実力を不動のものにしたのでした。
元祖スーパータスカン
その前代未聞の大活躍に、困ってしまったのはイタリア政府です。法律ではいちばん下のランクに位置するテーブルワインが、もっとも高品質と法律で保障されたワインよりも高値がついてしまいました。
しかもサッシカイアの成功に続いて、次々に、ボルゲリの土地でワインが作られ、それがまた、高い評価を得ていきます。世界中で、「怪物テーブルワイン」というような意味合いで”スーパータスカン”ともてはやされ、それがあちこちで、規定にはずれてでも俺は俺のうまいワインを作る、という風潮を呼び、国としては統率の取れない状況になったのです。
そうして、1994年。政府は潔く決断します。サッシカイアの使用しているぶどう品種や醸造方法を基準にして、ボルゲリのスーパータスカン達を、なんと法律上2番目の上級ワインに指定したのでした。
今がいちばん
現在、サッシカイアはマリオ侯爵とクラリスの息子、ニコロ・インチーザ・デッラ・ロケッタ侯爵が、あとを継いでいます。彼は父親の夢が、一本のワインに詰められていることを誰より理解していました。父は、未来のことを語りすぎるほど語ります。明日なにをしたいか、どうありたいか。
昔のことはほとんど話しません。サッシカイアを仕上げるまでの苦悩や努力も、もらしたことはありません。ただ、母クラリスから笑い話のように聞いたことがあります。
「最初のワインなんて、渋くて、青臭くて、とても飲めたものじゃなかったのよ。」
いつも、明日を信じて、疑わなかった父。今がいちばんしあわせだと、豪語します。すべては成るべくして、成る。その後ろ姿はいつも、毅然としていた。大きい背中でした。
「でも、あれが、忘れられないのよね。」
クラリスがそう言うのも、息子のニコロ侯爵にはよく分かるのでした。
後年、ボルドーワインと比較されることが多いが?との問いに対して、彼は毅然と言ったそうです。
「サッシカイアはサッシカイアでしかない。」
私見ですが、サッシカイアはシャトー・ムートン・ロートシルトと、そのアイデンティティの成り立ちが、似ているような気がします。ムートンが第二級に格付けされたのに甘んじず、革新を起こしてきた挑戦の歴史と、サッシカイアが無名のワイン産地でイノベーションを起こしてきた情熱の歴史と、その物語にも共通するところがある。
シャトー・ムートン・ロートシルトはいいます。我はムートンなり。
対してサッシカイアは、サッシカイアはサッシカイアでしかない。という。