シャトー・ラフィット・ロートシルト|醒めない夢

白馬に乗った王と妖精の出会い

5大シャトーの中でも華やかで、端正な印象を受けるのがシャトー・ラフィット・ロートシルト。同じ5大シャトーのひとつ、シャトー・ムートン・ロートシルトとは元をたどると同じ家系。親戚筋にあたります。

主人公は、名前をご存知の方も多いと思います。

ポンパドール夫人。フランス国王ルイ15世最愛の愛人です。

目次

仮面舞踏会にて

それは1745年、パリ郊外のお城で、スペインの王女様と、フランスの王子様の結婚を祝って、大仮面舞踏会が開かれたときのことでした。

「マダム、待って」

黒い仮面をかぶり、赤い大きなマントを羽織った男が、女を呼び止めます。女は小さな仮面の下でほほえみ、手に持った細長い矢とじゃれ合うように、いたずらっぽい仕草を繰り返していました。

大きな長方形の布を二つに折って体に巻き付け、肩の上をブローチでとめ、ベルトを一本、腰に巻いただけの、妖しく、大胆な格好。古代の狩りの女神、ディアーヌに扮した彼女を、男は追ったのでした。

遊戯

「お願いだから、その仮面を少し上げてくれないか?」

彼女の手を捕まえたとき、男は懇願しました。わずかに覗いた、そのかわいらしい口元に、彼は見覚えがあったのです。女はほんの少しだけ仮面を上げて見せました。

「あのときの森の妖精!」

男は驚き、思わず手を離してしまいます。彼女は謎めいたほほえみをもらして、男の手をすり抜け、背を向けたのでしたが、そのとき、はらっと、なにか落ちたものがありました。白いハンカチーフです。

「マダム!」

蝶々のように人々の合間を舞っていく彼女の背中に向かって、男が大声で呼ぶと、群衆は何事かとざわめきました。女が振り返ります。その仮面の奥からはたしかに熱いまなざしが、男に向けられていたのでした。

男の正体はフランス国王、ルイ15世。

このとき王は35才。王妃には10人もの子供を産ませ、公に認められた愛人も3人おり、今まさに男盛り。こうした恋愛のやりとりなど手慣れたものでしたが、彼のこころは、さながら女が扮した女神の矢に射抜かれたように、すっかり女の虜になっていました。

白馬の王

女は細長い矢を両の手で斜めに持ち、首をすこし傾けて、男を見つめていました。二人の間は、距離にして3メートルくらいでしょうか、周囲の様々な格好をした群衆も、その成り行きを見守っています。王はハンカチーフを拾い上げると、口元を近づけ、そして、彼女に向って投げ返しました。

「私はあなたを知っています。あの森で、またお会いしましょう。」

王が言うと、女はハンカチーフを胸の隙間に入れ、かすかに頷きます。

舞踏会場の一隅で繰り広げられた、この映画のワンシーンのような一幕に、女は満足していました。

彼女は、男がルイ15世であることをよく知っていたのです。いつも精悍な、端正な顔つきで、白馬に乗って森にやってくる彼は、フランスで一番の美男と謳われたほど、女性たちの憧れでもありました。

ポンパドール夫人

当時、王様の愛人になることはフランスの女性たちにとって最高の夢だったのです。高い爵位とすばらしい邸宅をもらい、優雅なドレス、きらびやかなアクセサリーに身を包まれ、華やかな宮廷生活を送ることができる。

女はそして、王の男ぶりに惹かれてもいました。

その彼女こそ、ルイ15世の愛人として20年ものあいだ愛され、そして、シャトー・ラフィット・ロートシルトを最高級のワインにした立役者、ポンパドール夫人です。

ポンパドール夫人の悩み

時の国王、ルイ15世とロマンチックな出会いをはたしたのでしたが、ポンパドール夫人には、ひとつ、悩みがありました。

彼女は冷感症で、王の旺盛な期待に応えることができなかったのです。5年もすると、肉体的能力にも限界がきてしまいました。だからといって、せっかく手にした愛人の座を手放すわけにゆきません。

彼女はそういった肉体的な悩みを、ほかの女性を代用することで、解決します。

「鹿の苑」というハーレムを作り、王好みの若い女性を住まわせ、そのための教育を施したのです。話し方、しぐさ、それからその反応までも。王の好みを知り尽くしているからこそ、できる芸当でした。そうして、相手をさせると、たっぷりと報奨金を持たせ、里へ返したり、貴族のもとへ嫁がせたりするのです。

ある伯爵が言いました。

「さながら妖精ともいうべき天性の美点の上に、彼女はあらゆる才芸を身につけている。」

自らの感情を押し殺してでも、王から愛され続けること。それだけを彼女は願います。

策略

そんなポンパドール夫人がさらに王を引き付けるために、目をつけたのがワインでした。王は、ワインに興味を抱き始めていたのです。

あるとき、先代の王ルイ14世が死ぬまで愛飲したという、ブルゴーニュ地方の葡萄畑が売りに出されたと、ポンパドール夫人は耳にします。

ヴォーヌ・ロマネという村にある、とても小さな畑で、そこで獲れた葡萄からは、濃密な、官能をくすぐってやまない、芳香性に富んだワインができると評判でした。

さっそく彼女はその畑を買おうと乗り出すのですが、なんと、タッチの差で別の人物に買われてしまうのです。それを購入したのが、王の信頼がもっとも厚いとされる秘密警察長官コンテ公。

ロマネ・コンティ

コンテ公は頭の良いポンパドール夫人の存在をこころよく思っていませんでした。彼女は王への影響力を日増しに高めており、政治にまでも口を出すようになっていたからです。

ルイ15世はもとより、統治よりも狩猟に、財政よりも恋愛に、重きをおいてしまうタイプでした。自身ものちに、「私は統治に失敗した。その才つたなきためでもあるし、また補佐に人なきためでもあった。」と述懐しています。

ポンパドール夫人は、そんな王に大きな影響力を持っていました。

「このままポンパドール夫人が必要以上の権力を握るようになれば、国はおろか、自分自身も危ない。」

コンテ公はそう考え、ポンパドール夫人が動き出したのを知ると、すぐさま巨額の資金を投じて、その葡萄畑を買ったのでした。そうして彼は、勝利の証として、自らの名前をワインに残します。

それが、「ロマネ・コンティ」。

現在において最も高値で取引されるワインのひとつです。

ラフィットとの出会い

王に喜んでもらうために極上のワインを探すポンパドール夫人でしたが、ライバルのコンテ公にタッチの差で後のロマネ・コンティをとられてしまいます。

出し抜かれたポンパドール夫人は、悔しくてたまりません。

当時の宮廷では、もっぱらブルゴーニュワインが飲まれており、その最高峰のワインをコンテ公にとられてしまうと、晩餐会での主役はもちろん、ロマネ・コンティになります。王もそれに、すっかりご満悦の様子。

どうにかして晩餐会での主導権を握りたいとやきもきしているところへ、耳寄りなニュースが飛び込んできました。ボルドー地方に、ロマネ・コンティに負けずとも劣らない、格調高いワインがあるというのです。

「それはそれは、まるでマダムの胸元に輝いておりますルビーのような深い色合いでして、とても華やかな香りがいたします。」

その情報を運んできた男は言いました。

運命

そのワインに口をつけたとき、ポンパドール夫人は驚きます。

えっ、これって・・・?

さまざまな記憶や思いや、人や、夢や、言葉や、あらゆる場面が、一度によみがえってきたような、激しく、大きい感情の波に、彼女は呑まれる感覚に陥りました。

「何なの?」

「いかがでしょう、マダム。晩餐会でお出ししてみては? コンテ公のワインにはない、気高さと華やかさを備えているかと存じますが。」

「このワインの名前は・・・?」

「シャトー・ラフィットと申します。」

晩餐会

かくして、ある晩餐会の席に、シャトー・ラフィットが王の前に出されることになります。王は、感嘆しました。

「素晴らしい・・・。このワインは何だね?」

「はい。本日はポンパドール夫人のご要望をたまわりまして、ボルドー地方に古くからある葡萄園の、極上のワインをご用意いたしました。」

「そうか、君が選んでくれたのか。」

王はポンパドール夫人をやさしく、労わるように見つめました。

当時のベルサイユ宮殿では一日間隔で夜会が開かれ、ビリヤードや、カード遊び、舞踏会、芝居などが行われ、たえず音楽が鳴り響いていたようです。王の晩餐は、夜の10時ころからはじまり、いまのフランス料理と同じように、フルコースで、まずポタージュが出て、前菜、それから肉のロティ(焼いたもの)とサラダ、アントルメ(料理菓子)、最後はフルーツで締めくくるのが通常でした。

同席者も多く、王妃をはじめ、貴族も一緒に食事をすることがあります。そんな中で、グラスを静かに傾けながら、王はポンパドール夫人に聞いたのでした。

「仮面舞踏会でのことを覚えているかい?」

醒めない夢

きらびやかな食卓の明かりが、ワインにきらきらと舞っています。うっとりと、王は、その深いルビー色をした液体を見つめていました。

「君がむかし住んでいた森の近くに、城があったろう。君は狩りの女神ディアーヌに扮していた。」

「はい。」

「華やかな会場の中で、君の大胆な格好は繊細にも見えた。」

「はい。」

「それで、私が近づけば君は遠ざかるし、捕まえたと思ったら、すり抜ける。皆から森の妖精と噂されていたね。」

「はい。」

「あの切なさ、苛立ち。華やかな音楽。笑い声。群衆の中の孤独。格式ばった様式。仮面。それから君が落とした白いハンカチーフ。私を誘ったその匂い。いろんなものが城の中に、渦巻いていたのだった。」

「はい。」

「・・・そんな、味がする。」

このとき、彼女は愛人であり続けることや、策略や、ロマンや、嫉妬、憎しみなどとはかけ離れた、とても満たされた気持でいました。

シャトー・ラフィットは、彼女にあのときの胸の高鳴り、自分が世界の中でただひとりヒロインになれる瞬間を、思い出せてくれたのです。それを、王も感じてくれた!

そのことがとても嬉しかったのでした。

「どうかしたかい?」

王がたずねると、ポンパドール夫人はいたずらっぽく笑って、答えます。

「今日から王様ご用達のワインにしてくださらない?」

のちにシャトー・ラフィットは、世界の大財閥ロートシルト家が購入し、シャトー・ラフィット・ロートシルトと、名前を変えますが、ポンパドール夫人やルイ15世が織りなした華やかなロマンスは、ワイングラスの中で、今も続いているようです。

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