美しさを維持するためには限りなく贅を尽くし、愛されなければならない
その佇まいは繊細でありながら、優美。滑らかで、押せばどこまでも沈んでいきそうな、柔らかく、官能的な不安がある。香はかぐわしく、至福へと誘い、それは自分が自分であることの一切を忘れさせ、限りなく堕落したニュアンスを持ちながらも、あまりに気品にあふれているが故に、はっとする美しさがそうなることを許さない。美に陶酔すると同時に鑑賞し、快楽に溺れると同時に、救われる。甘美なる、矛盾。
5大シャトーの中でももっとも女性的といわれ、時に「女王」とも呼ばれるシャトー・マルゴーはしばしば、そのような印象を持って語られます。
受難
しかし、クレオパトラや楊貴妃を例に出すまでもなく、美貌にも知性にも恵まれた女性が数奇な運命に弄ばれるように、マルゴーも受難の連続でした。所有者がころころと変わり、品質が危ぶまれた時期もあります。単に、自らの欲望のために手にしようとする者たちは、勝手でしたし、そうでない者たちにとっても、「女王」に仕える覚悟が必要でした。その美しさを維持するためには、限りなく贅を尽くし、とにかく愛されなければなりません。
そんなマルゴーに、自らを重ね合わせるように時代を生き、その気品とはかけ離れていながらも、結果としてマルゴーの名声を高めた女性がいました。マリ=ジャンヌ・ベキュー。デュ・バリー夫人で知られる人です。彼女はルイ15世最後の公妾(こうしょう)、つまり公に認められた愛人でした。
宿敵ポンパドール夫人
それは1769年、フランス革命の起こるちょうど20年前のことです。そのときジャンヌは25歳。対するルイ15世は、58歳という高齢でした。
王は側近に語っています。
「私はジャンヌに満悦しておる。この身が六十間近の老人であることを忘れさせてくれる秘法を知り尽くしている、フランスでただ一人の女だよ。」
当時、ジャンヌとルイ15世の暮らしているヴェルサイユ宮殿では、あるワインがもてはやされていました。それがシャトー・ラフィット・ロートシルト。1855年のパリ万博の際、第一級に格付けされた、5大シャトーのひとつです。
「ラフィット」は、ジャンヌの前にルイ15世の愛人であった、ポンパドール夫人が宮廷に持ち込んだものでした。王はこの女性をとても愛したといいます。見目麗しく、知性も教養もありました。
二人が初めて出会ったのは、王が狩猟に出ていた森の中でのこと。
遠くから見つめいていたポンパドール夫人の前に、彼は白馬に乗って、颯爽と現れたのでした。「白馬の王子様」とはこのことが由来だそうです。(というのは嘘です。すみません。)
ジャンヌはこのポンパドール夫人の行動や、考えたことを参考にしていました。彼女はわかっていたのです。
王の欲望を満たすだけの美しい存在では、愛人の座は務まらないことを。
策略
ポンパドール夫人は愛人としての肉体的能力に陰りが見え始めると、あらゆる嗜好品をプレゼンテーションして、王を飽きさせなかった、といいます。「鹿の苑」というある種のハーレムを作り、王好みの女性を住まわせたこともありました。まだ肉体的にも精神的にも熟れきらない少女を、そのためだけに教育するのです。言葉遣い、メイク、反応までも。そして王がのめりこみすぎないように、何度か相手をさせると、親元へと送り返したのでした。
「ラフィット」も、実は王を惹き付けるための、そのひとつだったのです。最上のワインをコントロールすることにより、晩餐会はもちろん、自らの権威までも高めました。
ジャンヌは、自分がワインをわかる貴婦人であることを証明するためにも、「ラフィット」に劣らないワインを見つけてくる必要がありました。
そうして見つけてきたのが、「マルゴーズ」。いまのシャトー・マルゴーです。
時はフランス革命の足音が聞こえ始めた、18世紀末。
マルゴーズ
・・・なんてきれいな色なの!
グラスに注がれた「マルゴーズ」(今のシャトー・マルゴー)を手にしたとき、ジャンヌは驚嘆したのでした。
「ラフィット」もたしかに素晴らしい色合いです。深くて、濃いルビー色をして、「飲む宝石」といわれたのも頷ける。
でもマルゴーズは、もう少し明るくて透明感があり、それでいてしっとりとしているのでした。
「君にはこの方が似合う。」
彼女の白いドレスにこぼしてしまった鮮烈なルビー色を見て、王は言いました。
そこから緻密に漂う、妖しい香り。当時の貴族たちは香水を浴びるほど付けていましたから、しかもそれは異性を惹きつけるための、動物的な、官能に訴える部類なので、それとマルゴーの持つ繊細で優美な、気品あふれる香りが交わると、彼女の魅力はいっそう高まるのでした。
間もなく、「マルゴーズ」は「ラフィット」にとってかわり、宮廷を席巻するようになります。
しかもジャンヌが限られた者にしか飲めないようにしたため、そのブランドイメージは不動たるものを築きました。これが、あの1855年の格付けにも影響を与えたといわれています。
鏡
ときおり、ジャンヌはグラスに入った「マルゴーズ」をじっ、と見つめることがありました。
しっとりと揺らめく、鮮やかなルビー色の液体は、鏡のように自らを映し出しながら、その人生を、うつくしい物語に変えてくれます。それがどんなに醜悪で、恥ずかしく、厭な記憶だったとしても、その美しさの前ではすべてが美化されました。
半ば、夢を見ているかのように、彼女はそのワインと自分とを重ねてみます。
ある大公が言っていました。
「背はすらりと高くて、それでいてグラマーで、胸なんかつっと出っ張っている。それは他と比べるのが無駄なほど、見事なものだ。顔立ちは整って、瞳はたえず湿っているし、いつもやさしく微笑んで。その口元のあどけなさがまた、誘っているようで。神々しい美しさの中に近づきやすさがある。・・・」
ジャンヌは、王の愛人の座につくまでに、数え切れないほどの関係を持ってきました。しかしそれは、その美貌を利用して計画的に結んできたのではなく、むしろ彼女の意志とはかけ離れたところで、人の欲に弄ばれながら、生きてきたのです。
生立ち
ジャンヌは、父親も誰だかわからない状況の中で生まれた私生児でした。
当時の倫理観は今とはだいぶ違っており、というより崩壊しかかっており、結婚するときに相手の顔を初めて見るのが当たり前で、特に女性は、夫を持ってから初めて堂々と、自由に、恋愛できるのでした。
それに嫉妬するのはとてもみっともないことで、たとえば奥さんの浮気相手に「やあどうも、いつも妻がお世話になっております」というわけです。
フランス革命が起こる前の時代は、アンシャン・レジームといって、非人道的な階層社会でした。
身分制度があり、国王を筆頭に、第一身分は聖職者、次が貴族や僧侶、第三身分に市民、農民とされ、税金は第三身分に属する者だけが払わねばならず、貴族より上の階級は豊かな暮しをしていながら、その必要もなかったのです。
一番下の階層である彼女に、意志を持つことはもはや許されませんでした。彼女は別に、王の愛人の座を狙っていたわけではない。弄ばれて、結果的にたどり着いただけのこと・・・。
愉楽
「マルゴーズは、私そのものなのよ・・・」
ジャンヌはそう思っていました。
平民から王の愛人にまで上りつめた彼女を、「あばずれ」と蔑んで、あからさまに無視する人も多くいましたし、もっとひどいのは、彼女そっくりの化粧を施した女性に、ワインの樽を模した筒状のものを着せて、ほとんど裸に近い姿で、町中を歩かせたりもしています。
それは「マルゴーズ」を愛飲するジャンヌへの、辛辣な風刺でもありました。
それでも彼女は平気でした。
その揺るぎない「マルゴーズ」の気品は、彼女をあらゆるしがらみから解放してくれたのです。
時の王、ルイ15世は「マルゴーズ」を手にしながら側近に語りました。
「今まで知りもしなかった全く新しい形の悦楽だよ・・・。こんなにも燃え上がる欲情と、蕩けるような快感がこの世にまだあるとは、思いもしなかった。」
革命
しかし、それから20年以上たった1793年の冬、ジャンヌは粗末ななりで断頭台の下に立つことになります。
もう、彼女も50歳。
ルイ15世とは結局、5年で死に別れ、その後は貴族の愛人となることで生き延びてきました。
そして1789年、フランス革命が起こり、贅沢は悪とされ、貴族をはじめ、国王までもが処刑される異常事態となったのです。
第二話でも書きましたが、当時はアンシャン・レジームといって、非人道的な階層社会でした。民衆ばかりが汗水流して働いて、王族など貴族より上の階級は税金も払わないという、理不尽な身分制度に、民衆が怒ったのです。
「パンがなければ、お菓子を食べたらいいじゃない」
マリー・アントワネットの言葉は、当時を象徴するものとしてよく知られます。皆が飢え苦しんでいるのに、一部の上層階級の者だけは、連日連夜、晩餐会を開くなど、贅を尽くしていたのでした。
邂逅
そうなると「マルゴーズ」も、無事ではありませんでした。
当時の所有者フュメル一家は、過激な革命派にシャトーを没収されたばかりか、人民の敵として、なんと死刑を宣告されてしまいます。
フュメル夫人は、処刑場で20年ぶりにジャンヌを目にします。
ジャンヌは泣き叫び、集まった群衆に慈悲を乞うていました。髪をふり乱し、あの美貌もどこへやら、しわくちゃの恐ろしい、みっともない形相で、暴れまわったといいます。
魔法が、解けてしまったのだわ。
とフュメル夫人は、思いました。
最上のワインだけが持ちうる美しい魔法。甘美なる、嘘。
偽りのない、ありのままの彼女は、それを味わうための生への渇望が、執着心が、捨てきれなかったのです。
多くの貴族たちが毅然と死刑台へと上がる中、ジャンヌだけが、死にあらがい、最後まで喚きました。
フュメル婦人は天を仰いで、呟いたのでした。
Margause dans l’ternit
マルゴーズよ、永遠に―――。