1929年世界恐慌とコロナショックの共通点

3月16日月曜日、アメリカ大統領トランプ氏が、アメリカ経済が景気後退に向かっている「かもしれない」と発言した後、ダウ工業株30種平均は2997.10ドル(12.9%)安の2万0188.52ドルになりました。

12.9%の下げ幅は、1日の下落率としては世界恐慌時を上回る過去最大の下落だったようです。

リーマンショックと比較されることの多い、コロナショックですが、そんなものでは済まないという経済人も多い。

世界恐慌時は1929年10月から大幅に下がり始め、底値は1932年7月。

最高値からすると89%下がったそうです。

1000万円の資産が、110万円になるということですね。

その世界恐慌はなぜ起こり、その後どうなっていったのか?

調べていたらコロナショックと妙に共通点が多いことに気が付きました。

世界恐慌はなぜ起こったのか?

発端は、アメリカの経済が急速に悪化したことによります。

1914年から1918年、第一次世界大戦でヨーロッパ全体が疲弊していました。

アメリカは工業製品や農作物を生産し、ヨーロッパへ輸出することでアメリカ国内の経済は右肩上がりに成長します。

1920年代に入るとアメリカ国内の都市化が進み、住宅建設が増え、道路も整備され、自動車産業も栄えました。

ますます好景気に沸き、人々はさらに資産を増やすため大量に株を買っていったのです。

一方で、戦争で疲弊していた国々も徐々に落ち着きを取り戻し、工業製品も農作物も、自国で賄うようになってきました。

しかしアメリカは、相も変わらず生産を続け、結果として大量の売れ残りが出来ます。

暗黒の木曜日

のちに「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになる1929年10月24日。

ウォール街のニューヨーク証券取引所で、株価の大暴落が起こります。

焦った人々は、預金を引き出そうと銀行に殺到し、銀行が倒産。

その銀行が融資していた企業も倒産、その企業の下請け工場も倒産と連鎖して倒産。

失業率は25%、比例して自殺者も増えました。

この時、アメリカは、何の対策も打たなかった。

世界各国への拡がり

第一次世界大戦時の輸出拡大によりアメリカはすでに世界経済の中心的な役割を果たしていました。

また、戦後復興の為の資金をヨーロッパ諸国へ貸していたため、アメリカは世界最大の債権国となっていたのです。

戦後復興で自国経済だけでは回していけなかったドイツ、フランス、イギリスの経済はアメリカ依存になっていました。

特にドイツは、第一次世界大戦で負けて多額の賠償金を連合国から要求されていて、アメリカの援助なしにはまともに運営できない状況です。

失業率はなんと40%まで昇りました。

日本への影響

日本は当時、第一次世界大戦で戦勝国でしたが、1923年に起きた関東大震災や昭和金融恐慌で疲弊していました。

アメリカへの輸出で重要だった産業は生糸で、恐慌が起こると壊滅的なダメージを受けます。

生糸を生産していた農家では、あまりの不況から子供を身売りさせることもありました。

さらに、ヨーロッパ経済の中心国、イギリス・フランスは自国経済を守る為に「ブロック経済」という強硬策をとります。

植民地と同じ通貨を持つ国同士で関税同盟を結び、他国には高い関税をかけ、輸入を制限したのでした。

それで締め出されたのが、ドイツ、イタリア、そして日本です。

世界は、第二次世界大戦へ

植民地を持ち、自国の経済圏だけで経済を回復しようとしたイギリス、フランス、アメリカ。

一方で、資源が少なく、輸出することで経済が成り立つようなドイツ、イタリア、日本では、世界恐慌のあおりを受けて困窮を極めます。

次第に、

植民地を得る為に侵攻すべきだ

そうなれば軍事産業が盛んになり仕事も増える

そう考える人が増え、世界は不穏な空気になっていきます。

ヒトラーがドイツのリーダーになったのも、そうした背景からでした。

コロナショックとの共通点

話を経済に戻します。

世界恐慌が起こった背景に、今の日本と世界の動向において重なる点が多いのです。

株価の下落

まず、アメリカの状況。

第一次大戦後、好景気に沸いた後の大暴落と、2019年末に史上最高値をつけた後、コロナショックにより大暴落

今回の最終的な下落幅は分かりませんが、1929年の最高値からの下落幅は89%でした。

ショック時の1日の下げ幅は共に12%前後。

グローバリズム

世界は人、モノ、金の流れを拡大してきました。

国によって対立構造はあるものの、かつての日本のように鎖国している独立国家はほぼありません。

自国にないものや安く生産できるものを買い、他国が必要なものを売り、相互依存しています。

しかし、コロナショックが起こり、各国は物理的に鎖国状態となりました。

経緯は違えど、恐慌時のブロック経済を思い起こさせます。

デフレーション

日本に顕著ですが、恐慌時と同様、日本はデフレに悩まされていました。

デフレとは、人々の消費や投資意欲が低く、物価が持続的に下落する状態です。

関東大震災や昭和金融恐慌の影響と、当時の政府がとった緊縮財政により、経済成長の頼みの綱と言えば、輸出でした。

近年の日本が国内の需要を伸ばすよりも、インバウンド市場の拡大に期待したのと似たような状況です。

そこへ、襲ったのがアメリカの株価大暴落でした。

今回のコロナショックも、2019年10月の消費増税により年率換算でマイナス7.1%のGDP成長率という、ただでさえ悪化していた日本経済を直撃しています。

新自由主義

日本は、1982年の中曽根政権移行、民営化を進めてきました。

民営化というのは「民間で出来ることは民間でやっていこう」という考えで、それまで政府が介入していたサービスも、民間企業へと任されるようになります。

現在のNTTやJT、JRなどがその流れで民営化されました。

そうして、政府は軍隊・司法などのみ民間で賄えないものに集中し、民間への介入を小さくする政治の在り方を「小さな政府」と呼び、「経済は市場に全てを任せることでうまくいく」と考えたのです。

これが、新自由主義と呼ばれるものです。

グローバリズムもその中で発展してきました。

この新自由主義というのが、1929年の世界恐慌前のアメリカ経済の在り方と根本が同じなのです。

世界恐慌は、どうやって立ち直ったのか?

今後、どうなっていくのか?気になるのはそこです。

世界恐慌当時、何もしなかったアメリカ大統領フーバーに変わり、政権を握ったフランクリン・ルーズベルト大統領は「ニューディール政策」を打ち出しました

それまでのアメリカは政府の市場への介入を限定的にした自由主義的な経済政策で、先に述べた「小さな政府」だったのです。

3つの目標

3つの目標を掲げます。

Relief(救済)Reconstruction(復興)Reformo(改革)

まず銀行を全て封鎖して、経営の内情を調査し、再編し、通貨のコントロールができるようにしました。

工業製品や農作物の生産量についても調整して、余剰分は政府が買い付けます。

そして大規模な公共投資を行い、大量の失業者を雇ったのでした。

GDP比で10.7%の財政支出を行ったのです。

この政策はアメリカ国内で短期的に効果を発揮しますが、数年後、負債が増え緊縮財政へと転換を図ったとたん、再び悪化します。

戦争へ

そして世界は、第二次世界大戦へと向かうのです。

なぜか?

世界恐慌により困窮した世界の国々は、それぞれの思惑で自国優先で考えた結果、イギリス・フランスは他国をブロックし、ドイツ・イタリア・日本はそれに反発して軍事行動を開始し、世界がギスギスする中で、経済を発生させるためにも武力による解決が求められたからだと思います。

2020年3月27日、アメリカのトランプ大統領は2兆ドル(約220兆円)規模の景気刺激法案に署名しました。

GDP比で10%です。

1929年、フランクリン・ルーズヴェルト大統領が大規模な財政支出をしたのと同じ規模です。

今後、世界はどこへ向かっていくのか見えませんが、恐慌の文字通りに、まずは、恐れ、慌てないこと、パニックにならないことが求められます。

個人としても歴史に学び、ベストな選択ができるように心がけていきたいと思います。

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