資本について、学んでいた時に、面白いたとえ話があって、印象に残っています。
千羽鶴の話です。
大事な人が入院して、お見舞いに千羽鶴を折ろうということになります。10人のうち、9人は手芸部で、手先が器用でした。
でも、1人だけそうではなかった。
結果、その1人は、他の9人の半分も、鶴を折れなかったそうです。
だからといって、その人の想いは、他の人よりも浅かったのでしょうか?
同じ時間、同じように、大事な人の為に鶴を折っていた。その想いの質量は同じです。
商品価値
ただ、仮に、その鶴に商品価値があるとすればどうか?
その1人は、他の人の半分の価値しか生み出せなかったことになります。
それは言い換えれば、いくら想いは強くても、労働対価は、他の9人の半分になるということです。
差別化
では、その想いと等しく、他の9人と同等の価値を生み出すには、どうしたら良いか?
たとえば、他の9人の折り鶴よりも、2倍品質が高いものを折ることができたら、同等になります。
そしてもし、その1人しか折れないようなオリジナルの折り鶴を折ることができたら・・・?
ひょっとすると、価値は3倍になるかもしれない。労働対価は、他の9人のそれより高くなるかもしれません。
狭義での差別化は、その努力をすることです。
私は、想いの質量に対し、必ずしも品質が伴わないのは当たり前で、むしろその現実をその質量を上回るほどにひたすら努力するのが、求められていることだと考えています。
コロナショックにより、人の暮らしから考え方、働き方は大きく変わるのでしょう。
どうなるのか?というよりも、どう生きたいのか?
たいせつな人たちと楽しく人生を送る為に必要な資産と、生き方を、ない頭で頑張って考えてます。あなたのお役に立てれば幸いです!