オーパス・ワン|交響曲第一番

今や超有名ワインとなった、カリフォルニアの代表的ワイン、オーパス・ワンの物語をご紹介します。

イタリア、フランスをはじめ、ヨーロッパの伝統的にワインを作ってきた国々に対し、あらたにワインを作り始めた国々、アメリカ、オーストラリア、チリなどをニューワールドと呼びます。

かつてニューワールドのワインが、ヨーロッパ伝統国に比肩しうるとは想像できませんでしたが、ある事件をきっかけにその概念は粉々に崩れ落ちます。

目次

世界を揺るがした大事件

天文学者で知られるガリレオ・ガリレイは言いました。

「ワインは、水と一緒になった太陽である。」

カリフォルニアのさんさんと輝く太陽が、歴史、伝統、文化において他の追随を許さないフランスを相手に奇跡を起こしたのは、1976年の5月。

空は美しく晴れ渡り、気持ちの良い日でした。パリで、ある試飲会が行われたのです。超一流のフランスワインと名もないぽっと出のカリフォルニアワインの対決。

審査員はフランスのワイン界を代表する9人で、ボルドー格付けの審査員や、3つ星レストランのシェフ・ソムリエ、老舗レストランのオーナーや有名シェフ、ワインスクールの講師、ワイン雑誌の主筆者など、ワインと深くかかわる仕事をしているプロフェッショナル達です。

フランスVSカリフォルニア

彼らの前には採点表とグラスが2脚、それから舌の味覚を戻すための堅いロール・パン。ワインは銘柄を伏せた状態で注がれました。

「みなさまのお耳を拝借します。」

主催者はパリの小さなワイン・ショップのオーナーで、名前はスパリュア。彼は、5大シャトーのオーナーたちを一堂に会しての試飲会を行ったりと、おもしろい企画やイベントで、注目を集めていました。

「カリフォルニアに訪れたとき、私は驚きました。小さくて無名のワイナリーが非常に高品質のワインを作っている。今年はアメリカ独立200周年ということもあって、フランスのワイン界を代表する方々にお集りいただき、カリフォルニアワインの素晴らしさの片鱗をお伝えしたいと思い、企画いたしました。」

それから、試飲するワインはフランスとカリフォルニアのワインであること、白ワインはシャルドネ種を使ったブルゴーニュスタイルのもの、赤ワインは、カベルネ・ソーヴィニヨン種を使ったボルドースタイルであることが、伝えられます。

会場は、和やかな雰囲気でした。

ワインのプロフェッショナル達は、フランスの勝利を疑わなかった。

胸騒ぎ

試飲は白ワインからはじまりました。

採点は、外観、香り、味わい、バランス各5点ずつの20点満点で評価されます。審査員は、質の低いワインには容赦ありません。1点しか与えられないワインもありましたし、香を嗅いだだけで捨てた人もいます。

高級フランス料理の総本山でパリの老舗レストランのオーナーは、なれた仕草でグラスをまわし、灯りにすかして、香りを吸い込み、口にふくむと言いました。

「ああこれこそ洗練されたブルゴーニュのシャルドネだ!濃密なハチミツやナッツ、すこしローストしたパイのようなニュアンスもある。これはモンラッシェあたりのグランクリュ(特級)だ。」

さすがはプロ・・・・・

主催者のスパリュアは感心します。ところが、

ん?ちょっと待て?

思わず、手元のワインリストと見比べました。

違う。いま試飲したのは、モンラッシェあたりのグランクリュじゃない。ブルゴーニュのシャルドネでもない。彼はカリフォルニアワインをフランスワインだと思いこんでいる!

また、別のワインを飲んで、著名なワイン雑誌の主筆者は言います。

「こいつは、間違いなくカリフォルニアだ。香なんてありゃしない。」

彼は自信たっぷりに斬り捨てます。スパリュアは胸騒ぎがしました。

そのワインこそ、白ワインの最高峰ともいわれる、バタール・モンラッシェなのです。

波乱の予感

白ワインから始まった試飲会ですが、プロフェッショナル達のテイスティングコメントを聞いた主催者スパリュアは胸騒ぎがしました。

これは大変なことになる!

結果を読み上げるとき、彼は声が震えそうになるのを押さえるのに必死でした。なんと上位4位のうち、3本がカリフォルニア産。

にこやかに談笑していた審査員たちは、それを聞いて凍りつきました。部屋中が騒然となります。

冗談だろ・・・?

こわばった笑顔を作っていったのは、バタール・モンラッシェを飲まずに捨てた、権威あるワイン雑誌の主筆者。

赤ワインの試飲が始まると、会話は、途絶えました。全員がワインに集中し、慎重になっています。提供されているフランスワインは、すべてボルドー格付け上位のワイン。1級シャトーからは、シャトー・ムートン・ロートシルトと、シャトー・オー・ブリオン。何世紀にもわたって世界の頂点に君臨し、その名声、品格、歴史において、肩を並べる者などいませんでした。常に一流であり続け、誰もが敬い、その酔いに、憧れた。

真剣勝負

「これはムートンだ。間違いない。」

名門レストランのシェフは言い切りました。スパリュアはリストを見ながら内心、ほっとします。

彼は正しい。フランスの赤ワインには古典的で際立った特徴があり、審査員たちにとって馴染みのある味わいなので、カリフォルニア産とは見分けもつきやすいだろう。彼らは意地でもフランスを1位にするはずだ。

「うん、これはカリフォルニアだね。」

3つ星レストランのシェフ・ソムリエは安堵の表情を浮かべながら言いました。彼も正しい。白ワインで、カリフォルニアを勝たせただけでも、ひどい裏切りなのに、赤ワインもその座を譲ってしまったら、国家に対する反逆だ。

が、結果発表を読み上げたとき、誰もが声を失いました。スパリュアの声だけが会場に響き渡ります。

激震

1位の座に輝いたのは、カリフォルニアワイン。2位にシャトー・ムートン・ロートシルト。シャトー・オー・ブリオンは4位でした。

審査員の幾人かはへなへなとその場に座り込みます。赤ワインでもカリフォルニアが勝った!

このニュースは、世界中を震撼させました。アメリカの新聞や雑誌はお祭り騒ぎ。

「カリフォルニアワイン、フランス勢を撃破!」

「ついにカリフォルニアがフランスを打ち負かした!」

カリフォルニアワインの価格は瞬く間に高騰し、その後、いくつもの高級ワインが生産されるようになります。

一方、フランスにとっては、国家レベルでの恥辱でした。この試飲会に参加した3つ星レストランのシェフ・ソムリエは、オーナーからこっぴどく叱られたそうです。

「あれはブラインド・テイスティングで、自分の判断基準に従って正直に評価した結果です。」

彼がそう説明すると、オーナーは怒鳴りました。

「君はわかっていないようだな。これは、フランスワインビジネスにおいて最悪のことだ!」

また、格付け審査員のもとへは職を辞めろと大量の電話がかかってきましたし、有名レストランのシェフはお客様から非難を浴びた。そもそもの企画を起こした張本人スパリュアは、フランスの一部のワイン生産者から徹底的に嫌われたそうです。自身のワイン・ショップ用に買い付けにいくと、「出て行け!裏切り者め!」と罵られるのも珍しくありませんでした。

フィリップ男爵の怒り

1976年、世界を揺るがせた試飲会において、フランスワインはカリフォルニアワインに大敗しました。

赤ワイン部門で2位に甘んじたシャトー・ムートン・ロートシルトのオーナー、フィリップ男爵は、審査員のひとりに電話をかけ、こう怒鳴りつけたそうです。

「私のワインになんてことをしてくれたんだ?1級昇格に40年以上かかったんだぞ!」

彼は1855年に行われたボルドーの格付けで、2級とされているのを不服と思い、「われ1級にあらねど、2級の名には甘んじられぬ、われはムートンなり」

とラベルに記し、2級に堕することを潔しとしなかったのでした。彼は誇り高い貴族。その頂きから見える景色しか望みません。そして、何より、彼には自信がありました。

1973年、ムートンはついに例外的に1級への昇格が認められます。斬新で、しかし品質向上のために確実な改革を断行し、ラベルは毎年、著名なアーティストに依頼するなど、名実ともに高めてきた結果でした。その年、彼はラベルにこう記すのです。

「われ1級となりぬ、かつては2級なりき、されどムートンは不変なり」

そこへほっとする間もなく飛び込んできた、このニュース。電話をかけたとき彼は怒り心頭でしたが、受話器を置いて、そのほとぼりも冷めてくると、彼は思いました。

「しかし私は、相手のことを何も知らない・・・。」

歓待

フィリップ男爵がカリフォルニアワインのリーダー的存在であるロバート・モンダヴィを、シャトー・ムートン・ロートシルトのワイナリーへと招いたのは、1978年のことでした。彼は、王侯貴族をもてなすように大歓待したといいます。

もてなしの細部まで自ら計画し、ディナーに出したワインは100年前のムートンと、一本のぶどうの樹からグラス1杯しかとれないほど貴重な貴腐ワイン、シャトー・ディケム1945年。

彼はカリフォルニアワインの潜在的な素晴らしさを素直に認めました。ただ、まだ洗練さには欠けている、と指摘します。ロバート・モンダヴィもそれには同感でした。

「私はムートンがムートンであるとはどういうことなのか、繰り返し考えてきた。そのひとつの答えは、天の恵みと、大地の生命と、人の技術がうつくしく調和したときに生み出されるということだ。」

フィリップ男爵は、続けます。

「カリフォルニアは気候に恵まれ、ぶどうの生育環境はボルドーよりも良いだろう。技術も最新のテクノロジーを駆使して、驚異的な成果をあげている。しかし残念なのは、少々、飲み疲れる。そして、鑑賞するには単純すぎる。ルーヴル美術館には飾りがたい種類のものなのだ。」

ロバートは頷きました。

「私たちも、その点は心得ています。良いワイン作りは技術であり、洗練されたワイン作りは、芸術であると考えます。」

「そう、ワインは必ずしも芸術品である必要はない。が、一本のワインが魂を浄化し、人生を変える程の酔いをもたらすことがあるのは、それがすぐれた芸術作品と同等の価値をもつからだ。」

フィリップ男爵の熱弁は続きます。

「ロバート、あなたが本当に作りたいのは、喉の渇きを癒すためだけの即物的なワインではあるまい。私もそうなのだ。カリフォルニアの土地で、私は他にはないワインを作りたいと考えている。私にはフランスで築いてきた叡智がある。あなたには、カリフォルニアを先導してきた技術と人格、そして情熱がある。」

100年前のムートンは、きれいなレンガ色をしています。フィリップ男爵は優雅な仕草で、ゆっくりと、喉に流し込みました。

「つまり、私はあなたとビジネスをしたいのだ、ロバート。」

交響曲作品番号第一番

フィリップ男爵の目は、輝いていました。

こんなにも真っ直ぐで、曇りのない瞳は見たことがない、そうロバート・モンダヴィは思います。頷かざるを得ない強引さと、この人と同じ夢を見てみたいという、憧れに似た感情が、一緒に湧き起こってきました。

「一本のワインは、交響曲のようなものだ。」

指揮者がそうするように、フィリップ男爵は両手をしずかに広げて続けます。

「私はムートンにおいて、音の積み重なりやスケール感ではなく、響きを重視してきたが、あなたと作りたいのはスケールの大きい、大地の声を表現するダイナミックで、なおかつ重厚感のあるスタイルのものだ。」

「カリフォルニアという土地、でなければ作れない独自の特徴をもったもの、ですね。」

「そう、そして私と、あなたでなければ作れない。ワインのオーケストラ、とでもいおうか。」

翌朝、ふたりは50パーセントずつ出資する共同事業に合意します。ワイナリーはカリフォルニアに設立し、二つの親会社が技術支援する。フィリップ男爵は手を差し伸べて、屈託のない笑顔を浮かべました。

「さあロバート、我々の交響曲作品番号第一番”オーパス・ワン”の誕生だ。」

子供みたいに純粋な人だ、ロバート・モンダヴィは思わず頬がゆるみ、その手を握り返します。

オーパス・ワン

オーパス・ワンが市場にリリースされたのはそれから6年後の1984年でした。

「みんなクレイジーだといったよ。」

ロバート・モンダヴィはインタビューに応じて言ったそうです。その費用は、ワイナリー設立から生産まで、30億円にも達していたのでした。

「我々は何でもやった。我々の求めるワインを作る為にね。でも、クレイジーじゃないってことはいずれわかるよ。もっと時間が経てば。」

そのラベルには、フィリップ男爵とロバート・モンダヴィの横顔とサインが重なるように連なって書かれています。

「ルードヴィック・ベートーヴェンはこんなことを言っている。」

ふたりがオーパス・ワンを手に久々に再会したとき、フィリップ男爵は言いました。

「グラス一杯のワインは、山のような仕事をした後の癒しとなる。ロバート、あなたと、この素晴らしいメロディを聴くことができたことを誇りに思う。」

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